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旅 #10 カオスで美しいタイ

母がタイ人ということもあり、幼少の頃からタイにはかなり行っている筆者だが、タイという国のイメージを中々捉えられなかった。

バンコクに行ったことのある方ならお分かりでしょうが、町中ごちゃごちゃしている。日本の侘び寂び精神とは正反対に位置しているよう(日本の都市も言えたものではないが)。至る所に何重にも重なる電線と乱雑に敷き詰められた高層ビルが空を覆い尽くして、耳はオートバイとトゥクトゥクのエンジン音で飽和状態。味覚と嗅覚も刺激のオンパレード。道端で焼いているいるガイヤーン(タイ風焼き鳥)に内臓系をぐつぐつ煮込んでいい味出しているグッティオ(ラーメン)はバンコクの下水の匂いが混ざり合う。時折漂うドリアンもこれまた強烈。とてもではないが落ち着いていられない。

美味しいものの周りにはたくさん集まる、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2

勘違いしないでほしいが僕はタイが大好きだ、大好きになったという方が正しいのだろうが。歳を重ねていくうちにタイの美しさというものに気づき始めた。

具体的にいうとタイ美術や街並みの圧倒的な情報量にいつも頭が処理しきれない状況に陥っていたのだが、混沌の中にある一定の「輝くもの」を見い出すことができたような気がしてきた。追記しておくとこの「輝くもの」は別に金ピカのものを指すのではなく、心に触れるものという意味。

タイが誇るものの一つの笑顔、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2

実際にタイの仏教建築にしてもピカピカに光るものばかりに目が行ってその背景を知ろうとしなかった自分がいる。何度も行っているタイの寺院でも「へぇ大きくてピカピカだぁ」程度の感想が出なかった時もある。ある時期に何故この様にゴージャスな仕様(もっと正確にいうとラッタナーコーシン様式のスタイルは)にしたのだろうと気になって調べてみるとタイ寺院の沼にハマってしまった。

寺院建築の問題でそもそもなぜタイのお寺はあんな細長く聳え立っているのか。古代インドの世界観には須弥山という、地上界と天上界を結ぶ世界の中心に鎮座する山し、修行を極めた人はインドラ神(帝釈天)が住む頂上に行けると信じられていた。タイの寺院はそれを表現をしようとしている為に非現実な形をしていると考えられている。寺にくる参拝者や修行者を天国へと導く空間としても考えられる。日本で言えば、極楽を模して作った平等院鳳凰堂も似た考え方なのかもしれない。

アユタヤ遺跡のワット・ヤイチャイモンコンにある仏像群、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2


破壊された仏像、アユタヤ遺跡にて、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2

古代インドの話まで少し遡ってしまったが、タイ美術はインド、スリランカ、ジャワ、クメール、ビルマ、モン族、中国(その他多)、とかなりの文化が時代を超えて融合と分解、化学反応を起こして出来上がったもので歴史の妄想をするだけでも面白い。これは勝手な仮説だけどタイの人がこれほどごちゃごちゃしているのを気にしていないのは多文化が歴史的に共存して「異質」を身近に常に感じていたからなのではないかと。

しかし美術品のディテールを見ていくと歴史の破片が見つかってくるものだ。タイのお寺にいくとご対面できる守護神のヤークの元は古代インドの鬼神ヤクシャ(日本語では夜叉)。インド神話でも登場する鬼神が仏教に取り入れられ何かの拍子でタイに伝わった際に寺のメインのシンボルに使われる様になった。他にもタイで大人気のガルーダ、発祥のインドでは際立って崇拝されている訳ではない(何故こうなった?)。タイに散らばる寺院の形を見ていくとビルマ式、クメール式と多種多様だ。

逆に日本に目を向けてみると日本の仏教にももれなくヒンドゥー教の神々が登場しており、そういう面でも日本の現在は多文化の伝来が日本風に昇華した結果であるとつくづく思う、そしてどういう経緯で現在の形になったかという点を追求する上でも日本の皆さんには是非とも海外を知り自分達をもっと発見してほしい。次に神社やお寺にいく際に祀られている神様や彫刻を見てその歴史を調べていただきたい、人生が豊かになるのは間違いないから。

川の神のナーガーをモチーフにした屋根、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2
後ろの仏塔を支えているのはヤーク(夜叉)、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2
寝そべる釈迦、Leica M10-R Summicron-M 50mm f/2

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