「愛について」3次元的(3次元以下的)ヤリチンと多次元的ヤリチンの数奇なる寓話

これを読んでいるあなたは女性だろうか?
(別に男性でも構わないが)

そうだとしたら、あなたを貴女と呼ぶ。
(崇高なるあなた、貴女。これからよろしく)

初めまして。僕はヤリチンです。

ありがとう、ガシャンという音ともに(シャッター音)、完全に僕を敵視、または憎悪の対象、虐げるべき存在、避けるべき立体物、この世の諸悪の根源(そこまでじゃないか)。そういった感情や認識をベースにした冷ややかな視線を感じます。

そしてエレガントに(またの表現を“そそくさと“)この場から立ち去ろうとしている貴女に僕はこう言いたい↓

ちょ、待てよ!(ロン毛茶髪、またはイカツめの、なんかやたらピチピチの服の輩、この低俗な社会を代表する顔だけ良くてペラペラの浅黒い男)

すいません、ごめんなさい、真面目にやります。。

ちょっとだけ、僕の話を聞いて頂けないでしょうか。
(あ、ありがとう。聞いてくれるんですね)

この話は、聞いて頂いた時間と等価交換、またはそれ以上の価値があると存じてるし、
要は、貴女の利益に対して相反しない筈です。(Win-Winまたは、貴女にとってのLoseは無い)

あなたは、「僕はヤリチンです」なんて冒頭からかましてきた僕に対して嫌悪感を頂いた(合ってますね?)

あなたの知っている最低にヤリチンでも「僕はヤリチンです」なんて開き直らない。
なんて不快な男なんだ(私が知っている最低のヤリチンでも、最初くらいは紳士的に接してくるのに)

でも、僕は断言します。貴女はヤリチンが好きな筈なんです。
(やっぱり、帰ろうとしますよね、分かります分かります、でももう少しだけ聞いて)

僕は女性に困った事がありません。(今、痕跡を残さずに殺せる手段があれば、貴女は僕を殺そうと思ってますね、2,000万円くらい安易に用意出来るのなら足が付かない殺し屋を雇うでしょう。または、ハンドバックに毒の矢があれば、吹き矢で僕を射るでしょう)

ここで3次元的(3次元以下的)ヤリチンについてと、
多次元的ヤリチンについての理解を深めて頂きたいのです。もちろん、僕は後者です(何なのそれ、さっさとして、という苛立ち、分かりますよ)

さあ、貴女の嫌悪する3次元的(3次元以下的)について語りましょう。
彼らは、文字通り3次元的な欲求を満たそうと躍起になって、あれやこれやと手段を考え、または手段を選ばずに、貴女に言い寄ります。

3次元的欲求とは、性的な欲求が代表的です。
時に貴女を雌としての性的対象と見なし、それを強要、または“あわよくば“と近寄ってきます。

そして更に、支配欲。
貴女を彼らがつけてるダサいシルバーのアクセサリーの如く所有したがります。

または、自己顕示欲。
自分が如何に優れた属性にあるかを貴女に訴え、その属性に貴女を隷属化させる事を望んでいます。

彼らは貴女を、美醜、性的対象である体の部位の優劣、隷属化の可否、そういった私的な偏った欲求を原理・原動に求めてきます。

そして、ヤレたとか、モテたとか、そういった次元でグルグル回っている、バカな鼻たらしの小僧なんです。

なんとも可愛らしく、愛らしいじゃないですか(え、憎たらしいですか)

ここで次元の話を少し挟みましょう。
僕が3次元的と表現しているのは、あくまでディメンション(寸法、大きさ、範囲)の話です。

要は、点と線と、奥行きの話です。

貴女は少なくとも3次元以上の空間認識能力を有している筈です。

漫画やアニメの“イケメン“を認識出来るでしょう。

それは貴女が2次元で描かれたものを一つ上の空間で認識出来ているからです。貴女が二次元に住んでいたら、イケメンもブサイクも“ただの線“としてしか認識出来ません。

貴女はその線に、直接触れるなり何なりをして「ああ、この顔を部分の曲線が良いし、おそらく鼻であろう直線が際立っているわ」と、その対象が“イケメン“である事を認識するに半日以上掛かるかもしれません。

しかし、3次元以上に住む貴女は一種にして、イケメンかどうかを認識する事が可能です。

失礼しました。めんどくさい話をエレガントな貴女にしてしまいました。
お許しください。

さて、次に多次元的ヤリチンの話に移りましょう。

前途した3次元の彼らは、終わりがありません。

簡単な話、次から次へと3次元的欲求を満たしては費え、ジェットコースターに乗っては降り、バカの一つ覚えのようにドーパミンを放出させては、行動を起こし、
まるで麻薬患者のように愚行を繰り返します。

ドーパ民ですね!(冷めた視線をやめてください)

ゴホン。
いきなりですが、“愛と、その器“の話になってしまいます(道理的に、便宜的に仕方ありません)

ここからはエレガントな貴女のリアクションを敢えて無視して(紳士的に、または勇猛に)お話させて頂きます。

愛を知るには非常に多次元的な空間認識が必要になります。

代表的なものに。“許し“や“赦し“があります。

許す、というのは“時間“というものを超越しなければ、到達出来ない行為です。
5次元以上の認識能力です。

許すとは、過去・現在・未来をそれぞれ分断して捉えていたら、不可能な行為です。
つまり時空を横断しないと成し得ないのです。

エレガントな貴女が嫌悪する3次元的ヤリチンは、
許す事が出来ません。
それは、時間を3次元的な認識でしか捉えられないのです。

彼らは、貴女の過去にこだわるでしょう。
そして、貴女の今の年齢とか、どうでも良い価値観に左右されるでしょう。
更に、貴女に未来を不安視するでしょう。

その認識は、一方通行で、自分の時間軸によってのみ行使してきます。

貴女の過去の経験人数や、貴女の今の外見的美醜や、将来の存在価値。
そんな、古臭い(あ、僕にとっては)価値観でいっぱいです。

カチンコチンの価値観です。
下半身ばかりカチカチの価値観です。
(あ、やってしまいましたね。僕を“赦し“てください)

愛とは、多次元的な存在です。
その効力は、時間を貫通します。
(姦通ではないです)

ああ、エレガントな貴女、今日はここまでにしましょう。
僕はもう逝かなければならない。

“その器“の話は、次回、もし奇跡的にお会い出来たならに致しましょう。










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