日が沈んで、月が月の役割を失ってから読んでほしい散文。
僕の家は国道に近いから、常に朝から晩まで車の通る音がしていて、それが五月蝿いとも、心地良いとも感じる。
車が通る度、社会だとか、そんなもんが蠢いて、眠る事ことなど無い、システマチックな往来に対する徒労感と、それとは反対に、その逆らいようが無いオートマティックな習性に安堵感を覚えたりする。
とめどなく広がり、切実に収束する。
この瞬間にも、SM嬢にペニスバンドを入れられて恍惚としたIT企業の社長もいるだろうし、この瞬間に初めて恋を覚えた少年もいるだろう。
この瞬間に亡命を決めて、秘書に電話する小国の権力者もいるだろう。
今まさに、今後の数学会をリードする方程式に断片を思いついた数学者もいるだろうし、
今、自死を決めた人もいるんだろう。
今、ライオンに食われているシマウマもいるが、
たった今、3丁目の奥さんが女の子を出産しているかもしれない。
どこの町の3丁目かは知らないが。
色んな事が起こっているんだろう。
たった車、一台が通り過ぎるに瞬間にさえも。
僕は急に、自分が何もしていない弱く、価値の無い人間だど感じた。
すると直ぐに、そんな事考える必要ないよって、誰かかが言ってくれた。
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