
断酒365日目
昨年の3月31日に開始した断酒が、本日を以て、365日目を迎えた。
祝杯の龍馬1865だ。今夜は生姜焼きを作った。
まず、noteやTwitterやブログを通して、日々、私にコメントやいいねを送ってくださる皆さまに感謝。
ありがとうございます。
さて、今日という日にどんな記事を書こうか。
ふと、「いつかまた、酒を飲む日が来るのだろうか?」と、思う。
今まで、「酒を飲まない。飲むわけがない。」という立場で記事を書き続けていた私が、あえて、「酒を飲むこと」を想像してみる。
それは、どういうときに、どういうシチュエーションで、なぜ飲むことになるのだろう?
勢いで飲んでしまうのか?
熟考の果てに、納得した上で飲むのか?
飲んだ後にどう思うのか?後悔するのか?
それとも、意外になんとも思わないのか?
むしろ、喜んで飲むことになるのか?
例えば、この秋に誕生予定の我が子が、20歳を迎えたとき、一緒に「祝杯を交わす」としたらどうだろう?
もし、それが、私にとっての「21年ぶりの酒」になるとしても、そのときくらいは、いいんじゃないか?
それでも、後悔するのだろうか?めでたい席なのに?
その日くらい、酔い潰れてもいいんじゃない?
答えは、「わからない」
ただ一つ言えることは、「今日はまだ飲まない」ということ。
今日という日を迎えて振り返ってみると、「365日間断酒した」というよりも、「1日飲まなかった日が、365回続いた」という意識が大きい。
でも、明日はわからない。
何なら、この記事を投稿した後、歩いて行けるそこのコンビニで、ビールを買ってすぐに飲むことだってできる。
もちろん、そのつもりはさらさらないけど、人間の気持ちなんてものは簡単に移ろうものだから、5分後のことなんてわからない。
たまたま、「1日飲まなかった日が、365回続いた」だけかもしれない。
5分後に飲んでしまったら、「366回は続かなかった」ということ。
ある意味では、「ただそれだけ」のことだ。
そして、一口飲んで捨てたところで、おそらく、身体には何の変化もないだろう。(一本飲んだら、久しぶりだから、さすがに酔っぱらうかも・・・)
でも、心はどんな気持ちになるんだろう?
そう。だから、想像しよう。
断酒を続けるために、「酒を飲むことを想像してみる」のだ。