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Legend1:坂本清克さん(3)

(2020.7.6一部訂正)

前回からの続き)

坂本さんのサーフヒストリー

––––坂本さんは大洗から離れたんですか。

坂本:一八のときに神奈川に行った。サーフボードとかウェットスーツとかやってるとこ。知り合いがその時(神奈川に)行ってて、そこのシェイプしてたんで紹介っていうか。叔父さんがここにいてもしゃあないから、神奈川いけって。就職みたいな感じで。で、神奈川で大きいサーフショップでお店番、店員みたいな。

––––そのときは湘南の海に入ってたんですか。

坂本:湘南で、そう。アパートは茅ヶ崎で職場は辻堂、藤沢だね。

––––向こうには大きなサーフショップがあったんですか?

坂本:そう、ボード屋さんとかウェット屋さんのメインはあっちに集中してて。そういった仕事もあった感じですね。

––––そうすると茨城の人だけではなくで、色んな所から人が来てたんですか。

坂本:そう。四国とか九州とか全国。自分も一八のときにプロの試験受かってから行ったんで、そこから大会とかあっちこっち(に出場した)。(大会に)千葉とか静岡とか(の大会に)行くにも中間だし、情報も色々早いし。昔は携帯とかないから。

––––昔はそういう情報を聞くのって雑誌とかですか?

坂本:人伝いにかな。波の情報もそうだけど、天気図とかそういうのが多いよね。天気予報とか見て、ああ立ちそうだな、とか。試合の方はだいたいスケジュールが年間ででちゃうので。

––––いつからプロ目指し始めたんですか。

坂本:高校二年生の頃くらいじゃない。多分毎日やってたから、上達するの早かったんだよね笑

––––普通は就職なり、進学なりする中でプロを目指した?

坂本:タイミング的にプロになれて。サーフショップも株式会社みたいな形だったから、(そこに)就職っていう形で高校を卒業したんだ。

––––坂本さんがプロの頃って試合は全国で開催されていたんですか?

坂本:その頃から全国。四国があったし、新島もあったし。茨城でも阿字ヶ浦マスターズってプロの大会があって。自分プロになったときは、スポンサー変わっちゃってたけど、(出場したのは)五~六回目くらいだったかな。

––––阿字ヶ浦で。その頃は茨城県だと阿字ヶ浦がメインのサーフスポットですか?

坂本:メイン。

––––で、常陸那珂港の開発でだんだんできなくなっていって、そこから大洗が増えたって感じですか

坂本:そう。自分も神奈川から戻って、ファンタジーの社員になって。ずっとそっからは阿字ヶ浦に通ってた。二〇歳くらいだから三四年前。

––––湘南にはそんなに長いこといなかったんですね。

坂本:(入って)一年後に倒産しちゃったの、会社が。一年やれば、冬のノースショア、大きな波にチャレンジしに行かせるって会社から言われてた。だけど行けずに倒産しちゃったから笑 もうなんか自分で貯めていったんだけど。一九のとき。

––––イナムラクラシック(注1)で優勝したのはそのときですか。

坂本:その前も出て、ナガヌマクラシック(という名前で)二回やったんですけど、名前変えたのがこのイナムラクラシック。だから三回目なんだよね、実質。(…)帰ってきて、その後ずっと阿字ヶ浦。結婚するまで、自分でお店独立するまでずっと阿字ヶ浦いたんで。あとはこっち(大洗)にもサーフィンやってた仲間とかいたし。チームもあったりするかんね。まあ行き来(しながら)。

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––––プロはいくつぐらいまでやってたんですか。

坂本:そんなに長くはないかな。二九、三〇歳までしかやってない。

––––引退してからお店を始めた?

坂本:正確には引退前。今年でお店が25年目なんだ。あっち(移転前の店舗)で八年くらいかな。ここの方が長い。結婚して、金銭的にも自分でやろうかなって。まあちょうどよく地元の、後輩とかもお客さんになりえる人が結構いて、その点助かった。

阿字ヶ浦時代

––––阿字ヶ浦も大洗もそれなりにサーファー入ってたんですか。

坂本:そうだね。やっぱり風向きとか台風とかで阿字ヶ浦できないときはこっち来たり。(ただ)絶対数は阿字ヶ浦が多い。始めた頃行っても、なんか大貫でやってると地元の人かほんとに顔見知りになるような。少ないんですけど栃木から来てる人なんかもいたけれども。本当毎週のようにきてると友達のようになって。

––––当時から栃木の人もやってたんですね。

坂本:阿字ヶ浦とかで空き家借りたりしてクラブハウスみたいにして。地元でやっているサーファーも多かったですけど、どっちかっていうと色んな所から来てた感じはしますね、沢山。栃木もそう。埼玉、東京とかはその頃あんまり来てなかったけど。

––––茨城のサーフィンの歴史の中で、「阿字ヶ浦時代」っていうのは三〇年くらい前?

坂本:もっと前じゃないですかね。自分が始める前から多分メインだった。

––––今、阿字ヶ浦でやってる人っていないですよね。

坂本:波がいいときはいますよ。お店の人なんかは、大半が大貫か、もしくは東海かに移動しちゃった感じ。(最盛期で)六件はあったかな阿字ヶ浦で。

––––今、阿字ヶ浦でサーフショップってあんですか

坂本:今はない。でも阿字ヶ浦は(かつては)この辺ではメインの場所だった。どんな台風が来ても毎日できてた。

続く

(注1)「INAMURA SURFING CLASSIC Invitational(稲村クラシック)」は、神奈川県鎌倉市稲村ガ崎で行われる日本屈指の大会。ウェイティング期間中にビッグウェーブが発生した日にのみ開催されることになっていて、坂本さんが優勝した1989年以降、2013年まで23年間開催されることがなかった。ちなみに当時の映像がyoutubeにアップロードされているので参照されたい。


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