Legend2:小野瀬祐一さん(1)
サーフショップウェッジオーナー:小野瀬祐一さん
サーフショップ「ウェッジ」は、大洗町の最北端、那珂川の河口からほど近い場所にある。栃木県の那須岳を源とするこの川は、今もサケやアユが遡上する関東最後の清流として名高い。そしてこの那珂川の河口に位置する大洗海岸は、毎年Japan Pro Surfing Tourの「I.S.U茨城サーフィンクラシック」が開催される県内随一のサーフスポットでもある。
私たちは、そんな恵まれた場所に位置する「ウェッジ」のオーナー、小野瀬祐一さんに話を聞きにいった。3月8日。相変わらず春へと向かう曇り空の下だった。お店を訪れたのは午後のことだったが、ちょうど午前のスクールが終わった後で、まだ潮っ気が抜けないままの姿で小野瀬さんは迎えてくれた。
ウェッジのはじまり
––––小野瀬さん自身がお店をやるきっかけはどんなことだったんですか?
サーフショップウェッジオーナー 小野瀬祐一さん(以下敬称略):自分が始めたきっかけは、ここ(お店の場所)がイトコのお兄ちゃんの実家で、その人がサーフィンもしてて。自分が中学とか高校の頃(ここに)遊びに来ると、そのイトコのサーフボードに乗らしてもらったり。
––––その時からサーフィンを始めたんですか。
小野瀬:まあそれはただ体験しただけなんだけど。(サーフィンを始めたのは)水戸でスケボーを始めたのがきっかけ。雑誌のポパイが創刊になって、スケボーがバーって流行った。その頃(自分は)一六、七才で、水戸でスケボーをやっていて知り合ったサーファーの人が、水戸でスケボーとサーフィンと喫茶店のお店を始めて、そこに行くようになって。学校帰ってスケボーやったりしてたら、サーファーの人たちがやろうよやろうよって。でもスケボーに夢中だから、いややんないって(笑) でもその後、高校出て免許取った頃からサーフィンを始めた。その頃、イトコはここでサーフィンやってて。それこそ昔は仕事しないでサーフィンに夢中な人が一杯いた(笑)
自分はここの前の波が大好きで、サーフィンやってそのイトコのお兄ちゃんが住んでて、いやー、すごいいいとこに住んでるなーって思ってたわけで(笑) あんなとこ住めたら最高だなーって思ってたら、イトコが水戸で商売始めるってことで、引っ越すから誰か借りる人いないかって。ちょうどそのとき(自分)もプロでやってたんだけど、所属会社から給料払えないって言われたタイミングだった。だからお店を始めようと思って始めたわけじゃなくて、サーフィン続けていくには最高の場所だから、ここに住んで、お店をやってなんとかやってっちゃうしかないかなみたいに、計画とかなくその想いだけで来ちゃった。なんとか今までやれた。
––––お店の開業が一九八九年でしたっけ?
小野瀬:昭和六二年六月くらい。自分が(お店を)始めたのは二七、八才だから。
––––サーファーの人口は増えてるんですよね。
小野瀬:増えてると思いますよ、日本だけではなく世界的にも。オリンピックになっちゃうし、世界ではどこも流行ってる。
––––大洗のサーフィン人口、大洗でやってる人の推移はどうですか。
小野瀬:すっごい増えたでしょ。茨城っていえば大洗じゃないですか。あとゲレンデが、ロングにいいゲレンデだったり、幅広いレベルや年齢層にとってもいい。駐車場もビーチも広くて、関東でも有数じゃないですか。今日だって来てる人はほとんど他県ナンバーじゃないですか。
––––地元サーファーはあんまり増えてないですか。
小野瀬:あんまり。逆にサーフィンが好きで大洗に来る人が多い。自分もそうだけど、あんまりそこで生まれ育っちゃうと、そこの良さがわからないかもしれない(笑) 栃木や群馬の人にとって、海はもう憧れだもん(笑)
––––栃木のお客さん多いですもんね。やっぱり人伝手なんですか。
小野瀬:人伝手ですね。あとはスノボでやってる人が、夏はサーフィンやりたいとか。実際スノーボードで山のガイドやってる人がサーフィンにハマって、自分の冬のお客さんをこっちに来てくれたりと、一年中通して横ノリの遊びができる。多いですね、そういう大人の人たちが。
(続く)
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