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Degrowth(脱成長)とは?


Joan Wong illustration for Foreign Policy


Why Growth Can't Be Green

「グリーン成長」は本当に可能か?

グリーン成長は、2012 年にリオデジャネイロで開催された国連持続可能な開発会議で初めて話題になりました。これはどこかの定量的データから導かれた話ではなく、このような考えが先にでて、のちにSDGsを形作る礎にもなりました。
しかし、それが本当に可能なのか、識者たちはシミュレーションをしてみてみることにしました。結論としては、グリーン成長が誰もが望んでいた万能薬ではないことを識者は示唆しています。実際、不可能です。という残念なシミュレーション結果が出ました。

  1. Monika Dittrichの研究結果(2012)

  2. 別の研究(2016)

  3. U.N. Environment Program

研究の後の研究も同じ結果を示します。グリーン成長が完全なデカップリングができるかというとそれは不可能だという見解です。
今後経済が教育やヨガなどのサービスにシフトするかもしれませんが、大学やワークアウトスタジオでさえ、物質的なインプットが必要であり、それだとデカップリングができないということです。
これに対抗する策としては我々の生活を変えなければいけません。要するに脱成長です。
明日から我々に必要なものが以外は製造しない。というと無理があるかもしれませんが徐々にそうしていくべきです。
来年からは生産量を減らしたり、人々の購買意欲を掻き立てるような広告の廃止、通勤の削減、使い捨てプラスチックの廃止などが具体策として挙げられます。
このように今ある生活様式を変えていくことも重要でそうすれば無駄な資源使いはしなくなり我々人間が使える分の資源は十分にあるかもしれません。
しかしその先にあるのは資源の公平な分配です。
効率的に世界の人々に公平に水、エネルギー、食糧などをどのように分配するのか?
具体的な対策はEnough is EnoughやKate Raworthのドーナツ経済、ローマクラブのEarth for allにて記載がありますが、例えばベーシックインカムの導入、労働時間の削減などがあるかもしれません。

脱成長は昔の生活に戻るということを意味しているわけではない

ここまで読んで、私は少し住職の暮らしを思い描きました。
「足るを知る」というか質素な生活を行い、必要以上の贅沢を行わない。もしくは電気を一切使わずろうそくの明かりを灯し夜を過ごす、というような生活様式にするのか。
脱成長を提唱するメルボルン大学のSam Alexander氏は決して脱成長はそういう意図ではないと指摘しています。

今ある我々の豊かな暮らしから比較すると、運転する量を減らしたり飛行機に乗る回数を減らしたり、牛肉を食べる量を減らしたりというある程度の制限がかかるかもしれません。
しかし、それは旅行の制限をしなさい、食べるものを減らしなさいと言っているわけではありません。
我々の考え方を変えて、環境に配慮した生活様式の中で娯楽も楽しめばいいのです。

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