海外でスーパーからの帰り道 自分の成長に気づいた日
Merhaba!(こんにちは!)
サラエボの街から、surf anneです🥰
海外暮らしをしていく中で、本当に何気ない生活のひとコマに自分の成長を感じています。
それは地元スーパーマーケットへ一人で買い物に行った日のこと。
サラエボへ入国して2日目のことでした。
その日は午前中から夫と二人で旧市街へ散策へ行ったものの、帰り際に急な雨に降られました。
夕方近くになり雨もあがったので、私は夕飯の食材の買い物へ行くことに。
「ちょっと買い物に行ってくるね~」
夫:「その格好で行くの?」
「どうして?」
夫:「いや、別にいいんじゃない…」
夫に言われたことがとちょっと気になり、鏡で自分の全身を確認してみる私。
その日の服装を下から説明すると…
・足元は、ゴールドのブーツ(トルコ人の友人ノルタンにいただいたもの。雨上がりで路面が濡れていてスニーカーを汚したくなかったから)
・ランニング用の黒レギンス(これも、雨上がりでズボンの裾が濡れたくなかったから)
・上は、ランニング用の濃いピンク色のジャージ(少し肌寒く、一番厚手の長袖はジャージしか持って来なかった)
・そして頭には、ジョージアの雑貨屋で購入した、なぜかアフリカ柄のバンダナ(雨で髪がボサボサだったから、家でつけていた)
確かに、日本ではさすがにこの格好では歩けないかも…
と思いながらも、もちろんそのままスーパーへ歩いていくことに。
海外生活を続けていると、だんだん自分の服装がどうでも良くなり、周囲の目やおしゃれよりも機能的だったり着やすさの方を優先してしまっている。
まだサラエボがどんな街かも分からない2日目。
かえって小奇麗な格好でアジア人女性が一人で歩いているより、怪しいやつ…くらいに思われた方が治安上安全だし、なんて思いながら。
私が行ったスーパーは、観光客も買いにくるような街中にあるスーパーではなく、99%地元の人しか来ないであろう、さらに坂を登った住宅街にある個人スーパー。
向かう道中、住宅街を一人で歩く怪しいアジア人女性を二度見してくる地元の人もいれば、外で遊んでいた金髪の可愛いヨーロッパ人の子供は遠慮せず私を凝視している。
どのような視線を向けられようと、今の私はもう一切動じない。
海外で奇異の目で見られることにはとっくに慣れた。
そんな時は、大袈裟なくらいの笑顔を相手に向けるか、
相手によっては、笑顔プラス「Hello!」と声を掛ける。
ボスニアは「Ciao!」
が主流みたいなので、今は「Ciao」に変更している。
挨拶をすることで、奇異の目だった人たちがやさしい目に変わる瞬間が嬉しい。
スーパーで野菜を購入する際、日本のスーパーとは購入の仕方が異なる。
海外では一般的だけど、野菜はまず売り場にあるビニール袋に買う分を自分で詰め、店員さんがいれば店員さんが、いなければ自分で、売り場にある秤で重さを量り、野菜のコードを入力、出てきたラベルを袋に貼り付け、最後にレジへ持っていく。
レジで量ってくれる場合もあるが、その都度レジへ行く前に判断しなければならない。
野菜の名前は、当然ながらトルコならトルコ語、ボスニアならボスニア語で表記されている。
必ずしも野菜の下にある表示がその野菜を指しているかは正確ではなく、違う野菜の価格が表示されている場合もあるので注意が必要。
野菜に値段のないものは、店員さんに値段を聞かなければならない。
これが、日本への帰国日が決まっている短期の旅行だったら、野菜の値段なんて分からないままでも、多少高くてもいっか。
となるかもしれません。
しかし海外暮らしとなると、そういうわけにはいかない。
少しでもコスパのいい買い物をしなくてはならない。
国を移動するたびに変わる為替レートを常に頭に入れておき、日本円に換算し高いか安いかを判断する必要がある。
それが海外で暮らすということ。
ひとときの旅行ではないということ。
国を移動するたびに、やはり前にいた国の値段と比べてしまって、高いな~と手が出ないものあれば、トルコより安い!ラッキー!と思う野菜があり、それはそれで楽しかったりする。
そして買い物を終えた帰り道。
さっきは息をきらして上ってきた坂、今度は下り坂なので楽ちん、と思ったのも一瞬…
購入したものは、㎏で購入したトマトにきゅうり、キャベツ一玉、3リットルの飲み水、そして2リットルのビール。夫に頼まれた1リットルの牛乳、その他の食材…
重すぎる…
と思いながらも気合を入れてそれらをリュックと両脇に抱え、歩く。
下り坂で良かった~🎶
そして、目の前に広がる景色に思わず息をのむ。
来るときは背を向けて上り坂を懸命に上ってきたため気づかなかった、丘の上からの風景。
坂を上ればば上るほど、その眼下には美しい景色が広がっているサラエボ。
だから、こんなに坂だらけの街で、サラエボの人たちはここで暮らし続けていられるのかもしれません。
それも、観光客が集まりホテルが立ち並ぶ、坂のない中心地にだけ滞在していたら気づけなかったこと。
そして坂を下りなから、ふと脳裏に浮かんだこと。
「日本を出る7ヶ月前の私には、これができただろうか?」
今まで、海外へは短期の旅行でしか行ったことがなかった私にとって、これは大きなミッションのようなものではなかっただろうか?
買い物に行く際はきっと、
夫に、「不安だから一緒に来てよ~」と誘い、
外国人から奇異な目で見られることに不快を表しながら、
「なんでこんなに見てくるの!??」と愚痴を言い、
「どうやってこの野菜買えばいいの?日本のスーパーなら一つ一つ包装されてるのに…」
とまた愚痴を言い、
帰り道には、「重すぎるから持って?」
と夫に頼っていたことでしょう。
それが今は、周囲の目など全く気にしない服装で歩き、
英語すら通じるか分からない地元スーパーに一人で買い物に行き、
見知らぬ初対面の外国人に笑顔で挨拶し、
店員さんに野菜の値段を尋ねてどの野菜を購入するか吟味し、
昨日お目にかかったばかりのボスニア紙幣で会計を済ませ、
重い食材を背負い、両脇には2リットルのビールと3リットルの水を挟みながら、サラエボの坂を下っています。
愚痴ひとつ吐かず。
決して強い人間ではなかった私。
夫に、「海外生活は向いてないんじゃない!?」と言われ悔しかった日
心が折れそうで、一人エーゲ海の海岸で涙をこらえながら海を眺めていた日
ノルタンのやさしさと明るさが重く感じてしまい、部屋に籠った日
慣れない海外生活のストレスで夫に当たってしまった日
雨上がりの空の下、目の前に広がるサラエボの景色を眺めながら、私にもあった、そんな辛かった日の感情を急に思い出す。
けれど今の私には、そんな日々が遠く昔のことのように感じた。
サラエボの丘の景色がそうさせてくれているのだろうか…
いや、それだけじゃない。私はまた少し強くなれたんだ。
重い荷物を抱えながら、そんなことに気づいた日。
きっと私の感情の坂道も、重く辛い上り坂から軽い下り坂へさしかかっているのかもしれない。