6人になっても“最高で最強の関ジャニ∞”に、彼らの”ハモり”の真髄を探る。
関ジャニ∞って歌の中でこんなにもハモりまくっているグループだったのか、ということに自分が気付いたのはごくごく最近のことだ。もう少し正確にいうと、昨年出たアルバム『JAM』に収録されているnise akira(星野源)による『今』を当時テレビで聴いたときに、「おや?」と気付いた。それまで彼らのコーラスを意識して彼らの曲を聴いてもいなかった。
そうして今年になり、今春発売されたベスト盤『GR8EST』を聴き込むほどに「いや、渋谷すばるの歌声が云々どころか、そもそもなんでこんなにハモってるの……しかもみんな声に特徴あって素晴らしいな」と驚愕し、とどめは9月のはじめに出た、6人になって彼らの初めての曲『ここに』だった。WANIMAが提供した楽曲ということで、当然メロディックパンク的な曲調なのだが、バンド楽曲としてでなく彼らは今回もハンドマイクで、6人で、歌う。ミュージックステーションに登場した彼らの歌は、ひとりひとり相当力を込めて歌っていて、芯が図太いパフォーマンスだったが、それぞれの楽器として割り振られたかのようなわりと複雑で豪華なハモりをこなしていた。つまり、この歌にかける気迫がまあものすごくて、あらためて彼らの決意のほどもよくわかり、正直、驚いた。
「これからの6人の関ジャニ∞に、是非期待してください」という言葉を置いていった渋谷すばる。関ジャニ∞のメンバーのひとりとしての最後のテレビ出演となった2018年7月9日『関ジャム完全燃SHOW』生放送、ラストの演奏前の言葉だ。
「了解!」と心のなかで自分もその言葉を受け止めたつもりだが、この時の放送を観ていて、なぜか泣けずにぽかんとしてしまった自分に自分でショックを受けたことは ここでも書いた 。そして、とにもかくにも、この自分の中にある、期待とか不安とか惜別とかぐしゃぐしゃになった不思議な気持ちに向き合って、どこかにその答えを探しつつ、ここから全力でこのグループの“今”を追っていきたいと思ってしまったのだった。
さて、そうやってすばる君がメンバーから抜け、その一週間後からは、夏の5大ドームツアーが始まるんだった関ジャニ∞。初日の札幌ドーム(←※「名古屋」と初出時に表記していましたが、エイターさんから指摘いただき修正しました。失礼しました!)の様子などもテレビのワイドショーで流れ、周りの“eighter”の友人たちは名古屋のコンサートにも駆けつけていたりしたが、そこで何が起こっているのかを見聞きしていると、つくづく、「こんなに気持ちの揺らぎそのものを見せながら、5大ドームツアーをこなすアイドルグループとか、これまでにあまり見たことないなあ」と感じるのだった。“僕たちがやっていくこれからの態度をそのまま見てください”とでもいわんばかりの姿勢は非常にパンクだし、やっぱりこれはますます目が離せなさそうだ、とよくわかり、興味を持ってしまったことを若干悔いたほどだ(ハマると大変な魅力がありそうで怖い、という意味です)。
恐らく、これまでの長年にわたるファンのみんなは、新しい歌割りになった彼らの曲を聴いたり思い出深い曲が披露されるたびにこれまでのシーンがフラッシュバックしたりしつつ、渋谷すばるの不在を思い涙したりしていたことだろう。しかし、またそういう寂しさ以上に、6人になった彼らの決意表明みたいなものに勇気をもらい、それを丸ごと応援したいと思い、なんとか前に進もうとも思っているのだろうな、ということも痛いほど伝わってきた。メンバーもエイターも揺らいでいる。すごくエモーショナルだなあ、すばらしいグループとファンなんだなあと、そういう一連の流れをはたから見させてもらっているだけでもかなり感動した。
……まあとにかく、今の関ジャニ∞は情報量が多い。膨大だ。
事件味という意味では、東京ドーム4日公演の最終日、最後の最後に村上くんが過呼吸で立ち上がれなくなった(一応笑顔だったが、最後は大倉くんの肩を借りてステージ裏へ運ばれていった)だとか、安田くんがじつはすごい手術をしていたしその後に怪我をして治療中である、とか。普段の活動という意味でも、錦戸くんは大河ドラマに出演しあの抜群の耳のよさ(ヒアリング力、言語獲得力)を活かして鹿児島弁で主人公吉之助の弟を演じ続けているし(「錦戸亮」という字面の迫力が大河のOPに大変はまっているなと毎度思うのですけどどうでしょうか)、大倉くんが出ていた『モンテクリスト伯』は最高の連ドラだったし、『絶対零度』で横山くんは37歳にして爽やかなバスケ姿まで披露してジャニーズとしてちゃんと仕事こなしてるわ、丸山くんは毎日日記を更新しているわ。みんなそれぞれがバラエティにドラマにラジオにと、別々のレギュラー仕事を持っており、おまけに6人で新曲まで出し、と。このごに及んで、活動ペースはまったく落とされていない(どころかますます上がっている)。なんというポートフォリオ・ワーカー達なんだろうか。これからはアイドルだけでなく、みんなそうなっていくのだろうけれども。
そんな、何もかもが刹那的でなく、長く続くようになってきた時代の仕事のあり方を、関ジャニ∞という情報量が渋滞するほど働きまくるアイドルグループに学んでいる、という状態の自分、である。(関ジャニ年長組やタッキーのことは15歳くらいからずっと見てきているからこそ、最近の流れはどうしたって自分ごととして捉えてしまうわけですが。)
とにかく彼らはみんな、めっちゃ働き、何かを生み出し続けている。
普通、バンドとかだったらもうこんな状況下においては、少し休むものだ。でも彼らはアイドルグループであり、というか、彼ら自身の意図をもってとにかく今、歩みを止めない。いや“止めない”どころか、さらに加速・加圧しているという印象を受けるから、もはや仰天である。
これは一体どういうことなんだろう、と何度もこの半年、冷静に考えてみようとしてきた。
まず第一に、アイドルとは、アイドル自身の自己表現やある種のエゴイズムのために存在するものではなく、応援してくれるファンとともにその像を作るものだ、というのが大きいのかもしれない。彼らを見ていると、その点を痛感させられる。ファンのために、やるし、作る。ファンが悲しむことを、しない。応援してくれる人を、思い切り楽しませる。エンターテインメント。それがジャニーズとして生きることの使命なのだろうけど。(そして何度考えてみても、それは本当にすごい仕事、素晴らしい商売だ。そうやって、“応援できる土壌”が存分に用意されているからこそ、ファンも応援そのものを楽しむことができる。声援を送ること自体が、もうエンターテインメントの重要な要素のひとつなんだな、と。そういう土壌を、ファンとともにつくり続ける。それこそが使命・仕事なのだな、と。)
おまけに彼らの関西人ならではの面白みやズッコケ感により、さらにファンは各自で各々の想いを彼らへの声援に乗せやすくなっている気がする。あの親しみやすさから生まれる、いい具合の余白が常に醸し出されているというのは、アイドルとしてはどこか異質だし、だからこそ強みでもあるのだろうな。
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そんなことをいろいろ考えつつ、9月初頭、東京ドームへ行った。2年越しの念願叶い、関ジャニ∞のライブ、やっとのことで初体験である。(すばる君がいるうちに行けなかったことは悔やまれるけれど、でもこういう変化がなければ私はやっぱり彼らのライブを観に行く時をまたいつまでも先延ばしにしていたかもしれないし、そういう意味で私はめちゃくちゃ、渋谷さんに影響されて動いているとも言えるのかもしれない。が。)
そこで見た彼らは確かにファンとともにあるアイドルだった。でも同時に、確かに音楽を愛するバンド、でもあった。
ライブも舞台も伝統芸能も商業的なミュージカルも、これまでの37年間の人生、食わず嫌いもなく割と何でも見てきたほうかなと自負はしている自分だが、あの日関ジャニ∞が東京ドームで展開していた、ああいうエンターテインメントは、これまでに体験したことがないんじゃないかな、とも思った(ちなみに、同じくジャニーズでバンド形態でもあるTOKIOのコンサートにはかつて何度も行ったけれど、それともまた全く趣向の異なるものだった。メンバーの方向性の多様さによるものなのだろうか。なんとも説明しがたいけれど、そういうガシャガシャガシャっと存在している、かなり多彩な個性たちがぐわっと束ねられている魅力のボリューム感において、関ジャニ∞はケタ違いだと思った)。
今回は、eighterの友人がとってくれた席が、まあいわゆる……恐らくあれは“神席”といって過言ではないものだったのも、ショックが大きいし、演出を楽しむ上で最高だったのかもしれない。
ジャニーズのドームコンサートといえばもちろんトロッコが会場中を駆け巡り、バックにあるステージにもメンバーがやってくるよ、というところまではわかっていた。が。今回は東京ドームの正面ステージと対向の最端まで、バンドセットのステージごと、アリーナエリアど真ん中の空中を通り抜け、演奏しながらバンドの関ジャニ∞がやってきていた。「どんな演出だよ!!!」と、一緒に誘ってもらっていた男性の友人と私は度肝を抜かれるがまま、みたいな状態だった(ふたりとも、東京ドームでのコンサートは4年前のRolling Stones以来)。後ろにステージがあるのの真正面だし、そこにきっと出て来てくれたら近いよねえということはわかっていたものの……。まさかあのステージごと楽器も載せて動いてくるのか、と。
そして件の我々の席が、ちょうど十数列目だったこともあり、ステージ上との高さのズレもほぼ無い状態(「これZEPP でライブ見ているより全然近いじゃん!」とか「明日のAIR JAMと比べ物にならないくらい近い!!いいの?こんなの初めてで経験しちゃっていいの?!」と引き続き興奮して騒ぐ男性の友人と私)。
「いやあ、やばいね…… もうあなたここクアトロかってくらいの距離感でのっけから関ジャニ∞が楽器持って演奏してるの見ちゃったよ〜 あの巨大な空中のステージにバンドセット全部載せてやってきて段々と顔が肉眼でもピント合って確認できるようになったと思ってもまだまだ近づいてきて、自分たちの目の前でステージが下へ下がってきた時には、これVRだっけ?と目をこすったわ」などと話していた。
まあそんなわけで最初の5〜6曲くらいまででもう十分すぎるほどの充足感を頂戴したわけだが(その後、バンド演奏じゃないパートになってからも彼らは何度も目の前で手を振り、踊り、ファンサをしまくっていた。素晴らしいと思った)、実際よく考えてみればこんなハイブリッドなステージを実行できるのは、彼らが“アイドルである”からにほかならない(そもそも、ロックバンドで、突然あれをやろうと思える人たちはなかなかいないだろう。あんな大袈裟な、でもファンが大歓喜するようなこと、できるとしたらU2くらいじゃないか、とか、友人と話していた……)。昨年の関ジャニのライブDVDを観て“予習”している時にも、ダンスパートでアリーナエリアの空中をステージごと移動してきている演出は観ていて、「いやあ、このショウはすごい……」となっていたが、バンドセットでここまでの動きは昨年の段階では無かったので、まさかまさかと呆気にとられつつ、大変喜んだ。
……さて。この「ありがたすぎた神席」という究極のビギナーズラックの報告話みたいなものはさておき、である。
自分の横にいらした、きっとファン歴も長いのであろう女性はそんな大興奮のさなかにもことあるごとに泣いていたし、前にいたお母さんもガン泣きしていた。それは安田君の体調のことであったり、これまでの関ジャニ∞の曲が新しい歌割りになっていることによる渋谷すばるの不在を感じることだったり。不安要素も思い出すことも寂しさもたくさんあっただろう。(ちなみに新しい歌割問題でいうと、この日は丸山くんが『今』の自分のパートを歌い逃してしまったりもしていた。リアルで、なんだか妙にぐっときた)
私自身は、今回初めて彼らのライブを観たわけで、比較できる体験を過去には持ち合わせていない。とはいえ、渋谷すばるのパフォーマンスを生では見られていないからこそ、なのかはよくわからないけれど、彼の不在を感じて悲しくなるというよりも、彼がいなくても既に十分すぎるほどに成り立っているこの6人の状態に痺れ、そこでハッと渋谷すばるのことを思い出し、よくわからないけれど泣けてくる、という場面がライブ中に何度か、あった。あれは、何だったのだろうな。
でもやっぱり、間違いなく彼ら6人はもうすごく、6人で、やれるのだ。
6人の関ジャニ∞による歌は響くし、彼らのハーモニーは強い。
「渋谷は関ジャニ∞の重要な柱だった」云々はよく語られることだが、「たぶんもう補助輪取っても十分にみんな乗りこなせるよ」とすばる君自身が言い残していった、ということなんじゃないか、とやっぱり、つくづく思うのだった。渋谷すばるという特別な響きの歌声が引っ張る、という状態ではなくても、すごくいいハーモニーを響かせられるのが、現在の横山裕、村上信五、丸山隆平、安田章大、錦戸亮、大倉忠義 なんだろうと確信できたし、それは冒頭でも書いたように、新曲『ここに』でこれでもかと感じさせられる事実だと思う。
そして、あの彼らのバンド曲でない時に特に聴かせるエイトのハモり、ハーモニーの強固さは、じつは、全員でわざわざ楽器を持ってバンドやっているからこそ歌でも響かせられるってものでもあるのかもなとも、思ったりしている。
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9月8日。東京ドーム公演最後の一人ずつのMCの際、横山くんは
「関ジャニ∞の歌、いい歌いっぱいあるなと今回あらためて思いました」ということを、言葉少なながらも力強く話していた。
実際、今年の4月15日に渋谷すばるが抜けると聞いてからの数日間は『今』が頭の中で流れるたびに私は涙していたし、すばるラストということでテレビの歌番組でも披露されていた『オモイダマ』や『LIFE〜目の前の向こうへ〜』も、なんなら『キングオブ男!』だって、その歌のなかの言葉たちは、まるでこの今の状況のことを言っていたのか、と感じさせるかのようなメッセージ性を孕んでいた。
でも。そこに関わる人みなの気持ちが揺らぐような何らかの大きな事態が起きた時に、既に生み出されていた過去作品をまるで予言のようにとらえることができてしまうのは、その作品を生み出した本人たちがまさに今、時代の中心にいて求められている存在であるという証拠だと、私は思う。
(ちなみに話は少しばかりズレるが、今回の新曲『ここに』のカップリングとして収録されている『All you need is laugh』という曲や、その曲作りに関する特典映像『関ジャニ∞の曲作りすべてみせます♫ プロジェクトA to Z こんな時だからこそめっちゃ笑顔 地元大阪のために最高の歌を作ろうの巻』なるものを観ていても、そういうことは存分に感じた。今春、大阪観光局のシンボルキャラクターを務めることになった関ジャニ∞は、彼らとファンにとって特別な思いがのった古くからある楽曲『大阪ロマネスク』のMVを関西国際空港で撮っていたけれど、ちょうど『ここに』が発売されたのは関空が台風で大変なことになっている時でもあった。この“こんな時だからこそ大阪のための歌を作ろう”となった時期は、大阪府北部地震があった後でもあるし、すばる脱退の頃。関ジャニ∞がいう“こんな時だからこそ”の意味は、偶然のいいことも辛いことも全部重なって、果てしなく広義なものになっていたと思う。でもそれこそが、求められているということなんだ、とう意味です)
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そんなこんなで関ジャニ∞、東京ドームで実際に見てみても、お茶の間で歌番組をひとつひとつしっかり見ていても、それはそれは、もう大変に、比喩的な意味でも実質的にも、ものすごくたくさんの音が鳴っているグループだった。そういう数々の音がハーモニーとなり、圧倒的に響き始めているのが今なんだろうな、ということをしっかりと確信できたのは、冒頭でも書いたように、個人的には恥ずかしながらごくごく最近のことだけれども。
あんな状況のなか(大倉くんは7月に自身のラジオで「てんやわんやでした。破裂しそうでしたね」と話していた)でも彼らが前に進もうとまとまり、そしてポートフォリオ・ワーカーとしてそれぞれの仕事をまっとうしながら、関ジャムでは音楽に踊りにと一流ゲストとセッションを繰り返し、しかもこうしてコンサートでドームを周り、遂には台湾でも初海外公演をするグループとして、こうして活動を続けられる理由は何なのか。並大抵のものではないよな、と探っているけれど、恐らくシンプルに、彼ら自身があのハーモニーに一番の心地よさを感じられているからなんだろうな、と。
(そう、私の友人のジャニオタ女史が「関ジャニって奇跡のグループだよねえ」と先日メッセージを送ってきたが、長年ジャニーズを見ているような彼女ですら、そういう風に思ったりするのか、とまた興味深かったりもした。彼らは確かに、じつはすごいハーモニー的なる活動をなしているのかもしれない。でも情報量は相当多いし、一見するとなんかもうものすごくとっ散らかっているようにも見えるので、まだまだ潜在的なファンに届ききっていないだけなのかもしれない。)
グループってなんなのかな、とか、なぜそういうグループを見たいと思うのかな、とか。
そういうことをぐるぐると考えたりもしていたけれど、とにかくわかったのはグループにしか出せないハーモニー(ハモり)のことや、彼ら自身が“アイドル”というこのみんなで作る夢の土壌の引き受け人であることなど踏まえていくと、果てはもはや、野球チームみたいなものなのかも、とか思うようにもなった。
そう、なんか関ジャニ∞って、球団の応援しているような気分なんだよな、と。
今回のライブ、冒頭の映像で「new world」「reborn」といったワードが組み込まれていて、それが東京ドームのビジョンに流れるのを見ていると、なんだか“メイクミラクル”って感じがするんだよなあとか、ふと思いつつ(笑)。関ジャニ∞という“チーム”のファンである、というあの感じ。(だから、誰かひとりを推す、ということがとても難しい。ライブを観たあとの今でも、まだまだ、ふわふわとした状態のままだ。関ジャニ∞って、“箱推し”でしかないですよね。)
すばる君は、これからの6人を見て、何を感じ取っていくのだろうか。でも、この関ジャニ∞東京ドームの翌日に、18年ぶりに千葉マリンスタジアムでの開催となったAIR JAMに行き、最高の3人を見ながら、私は、懐かしくて嬉しい場面に涙すると同時に、18年前には考えられたなかったような奇跡的な光景もたくさん目の当たりにした。だから、きっとここから数年後のことなんて誰にもわからないんだよねえ、とまた関ジャニ∞と渋谷すばるのこれからのことを思ったりもした。
面白いのにかっこよくて、奏でる音楽も面白かったり笑えたり泣けたりするし、歌がいい。これ、なんだっけなあ。彼ら、現代のクレイジーキャッツという感じもするし、なぜか、あの関ジャニ∞のライブから帰宅した当日は夜遅くまで、しばらく、90年代初頭のユニコーンの動画をいろいろと観てしまった。よくわからないけど、なんかこういう、謎の芸達者さとそこで捲き起こる謎の熱狂。
9月22日は、関ジャニ∞の全国デビューから14周年。渋谷すばるの誕生日だ。そして初めての海外公演である台北でのライブも、この週末に開催されるという。
なんとなくその前に、最近思ったことをまとまらないなりにも一旦残しておいたほうがいいなと思い、勢いに任せて書きつけておきました。どうにも言葉になりきらないので辛いですが。
これからも“最強で最高の関ジャニ∞”を私も見させてもらいたいと思います。いやはや、最高ですね。