感覚派であることを許せてなかったんだ
ノートに頭の中をバーーーーっと書き出す時間を最近また作ってるのだけど、ジャーナリング的な感じかな。
私的には頭のお掃除の時間かなと感じている。
そこで書き出してたら気づきがあって。
「私、自分が感覚派であることを許せてなかった😂」
ここを否定してたんだってことに気づいた。
思いつきでいろんなことやるし、洗濯干し終わって下に行ったら別のこと始めて窓開けっ放しとか🤣
割りと直観で動くし、それもその通りに行ったほうがよかったりするし、違和感も感覚でキャッチするし。
それをうまく左脳と共に使えたらいいのだけど、どう頑張ってもそれが難しくて。
直そう直そうとしてた自分がいたから苦しくなってたんだーーー!って。
息子もね、私と似たようなタイプなんだと最近気づき。
最近、息子の行動に口うるさくなることが多かったんだけど、今日判明したよ。
私が私に感覚で動くこと感覚で生きてることを許せてなかったんだって。
だから息子の行動が許せなくなっていたんだなーって。
自分の性質を否定して違う質になろうとしてたから苦しかったし、そんな自分が嫌だったし、嫌だと思ってる自分のことを受け入れてあげることもせずにいたんだなと。
何ができるできないに重きを置いて、
being ではなく doing
になっていたから見失ってたんだ。
少し前に、感覚で生きてることを受け入れようとそこを発揮していこうって思えたんだけど、書き出してみて改めてそこへの許しが起きたなーって。
みんなが自分の質を生かして生きていく世界、それを認めあっていく世界。
それってめちゃくちゃ幸せなことだし、それって私が望んでる世界だ。
そのために私ができることをやっていこう。
また1つ扉が開けた✨
だがなんだかあとひとおし。
もう少しのモヤモヤがあるから、そこをじっくり感じていこうと思う。
私は私のペースで。
比べるのはいつでも過去の自分✨
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