アロマセラピーとは③歴史2
前回のアロマの歴史の続きです。
中世以降(ルネサンス時代)
中世ヨーロッパでは薬草中心の医学が修道院等で行われていました。これを僧院医学と呼びます。
14世紀頃には純度の高いアルコールとローズマリーを用いて薬酒である
「ハンガリアン・ウォーター」が作られました。別名「若返りの水」としても有名ですがこれは
ハンガリー王妃に献上され彼女が健康を取り戻しただけでなく同時にとても若々しくなり隣国(?)の
かなり年下の王子にプロポ―ズされたという逸話からだといわれております。
所説ありますが70代の王妃に20代の王子がプロポーズって普通にアロマスクールで教えられましたが
実際詳細は調べようが無くなんとも。。。普通にお綺麗だったとしても70代が20代に見えるとは言いすぎだし(辛い意見かな?)
パワーのある国の王妃との家系等々を考えた結婚ならば。。。と捻くれた私はちょっと思ってしまうのですが(笑)
ま、伝説や歴史にはそういった側面がある(わからない部分がある)ので素敵で楽しいのですよね。
もう1つ彼女は痛風だかリウマチだったとも言われており、この薬酒を飲んだり肌に使用したり様々な用途で
使う事でその症状が治まり生き生きと、活動的に生命力のあふれるその人本来の美しさが取り戻された。
という話もあります。どちらにせよ、人が元気で楽しく生きるサポートを植物が助けてくれたという実績です。
そして18世紀初頭、ドイツでイタリア人理髪師のフェミニスが胃薬と香水の役割を持つ「オーアドミラブル(=素晴らしい水)」を売り出し好評に。
これが「ケルンの水(=オーデコロン)」として親しまれ芳香を楽しむものとして流行します。
このケルンの水はアルコ―ルとベルガモット・ネロリ・ローズマリー等が使用されていたそうです。
こうして薬酒は香水と移行していきます。
近代
19世紀 イタリアの医師ガッディーやカヨラが精油の心理作用とスキンケアへの応用について研究しました。
また、なんといっってもこの時代にアロマセラピー界の超有名人!(←私調べ。)のガットフォセさんが登場です。
フランスの化学者であるルネ・モーリス・ガットフォセは、化学の実験中にやけどを負い(ま、失敗したんでしょうね。知らんけど( ´艸`))
たまたま近くにあったラベンダーの精油をかけたところ非常に治りが早かったらしく、その経験を元に医療関係者等と
精油の殺菌防具効果・治療効果について研究を行いアロマセラピーの概念を発表しました。
その後どんどんアロマの効果についての研究が進み、またハーバリストによりアロマスクールが開校され、大衆化されるようになりました。
現在
日本にアロマセラピーという形で入って来たのは1980年頃です。アロマは日本では雑貨扱いですが、
とはいえ代替療法の1つとしてとても期待をされています。
何より薬ではなく自然のものだからこそ、また香りのあるその豊かさが私達の心身に穏やかに働きかけてくれます。
一部の人はアロマのその素晴らしさに魅了され書籍に記載されている作用を
とても浅い理解で治療や薬が必要な場合でもアロマが変わりになるような事をお伝えしている方も一部いらっしゃるようです。
一部なのですが、残念です。今のところ薬に勝るという精油はありません。
ただ、何等かの理由がありお薬がつかえない。または病気という診断をされる程ではない不定愁訴等には
心身をうまく調整してくれる場合があります。
という事でまだまだわからない事もあるアロマの世界ですが、知っておくととっても役立つ時がでてきます。
特にストレスが多かったり働きすぎの方々には、性別関係なく利用できるものですので、
これからすこしずつご紹介していこうと思っています。
※尚このアロマについての記事はこれからも続けていくつもりですがアロマの独学で目指せる資格をお取りになりたい方のサポート記事になるように。と考えております。
しかし、アロマの歴史について書いた「アロマセラピーとは②③」の歴史は日本で一番会員数の多いAEAJの歴史学で必要な方のお名前等はあまり記載しておりません。
理由として香りの文化においてフレグランスの歴史とアロマセラピーの歴史をまずは時代の流れと共にざっくり頭に入れて頂き、その後資格試験用テキストで勉強してそれぞれによりフォーカスして勉強頂くように構成致しました。
という事で資格取得を目指す方はご理解いただき、ご覧くださいね。
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