菩提樹とグミと涙のわけ
住宅地と駅を結ぶ下り坂の途中に一方が池、一方が谷地になっている場所があった。
いつ通っても小石だらけの小さな沢に水はほとんど流れていなかった。
「枯れ沢」かと言うとそうではなく、まとまった降雨があれば忽然と細い流れが現れる。そして又晴天が続けば「忘れ水」のように絶え絶えになって、やがて地下に染み込んで消えてしまうのだ。
目指すお宅は、谷地の斜面にうねる様な蔓草が繁茂する崖上にあった。
「ようこそ。もう、そろそろ始まりますよ」
そう言って表玄関の扉を開けてくれたのは、清楚な装いの﨟(ろう)たけた婦人だった。
用意した袋に脱いだ履き物を納めながら一緒に連れ立ってきた純子を振り向くと、婦人のうっとりとした眼差しが彼女にじっと注がれていた。純子は気恥ずかしげに頭を下げ、足早に私の後に続いた。
会場に充てられた部屋は、三十畳もあるかと思われるリビングダイニングに花ござが敷き詰められ、分け入る隙間も無いほどすでに大勢の人たちが座っていた。
私たちは、後列と壁の隙間のわずかな空間にすべり込み腰を下ろした。
最前列の眼前にグランドピアノが置かれている。
ある団体の招きで来日したドイツのテノール歌手、O氏のホームコンサートが始まろうとしていた。
ドイツ語の歌詞と日本語訳が印刷されたプログラムを開いて、純子が小声で言う。
「見て、佐和さん。一曲目はシューベルトの野薔薇よ」
パテーションの陰から現れたO氏は胸に手を当てて、会場の左から右へ笑顔を流した後、ピアノに右手を添えて歌い出した。音どりも無しに、無伴奏で——。
曲にもよるのだろうけど、ドイツ語のあの重々しい語感が全く無い。人柄としか言いようのない優しいふっくらとした歌声が紡がれて行った。
プログラムの中ほどにシューベルトの「冬の旅」から「菩提樹」——とあった。
ちょとした出来事があったのは菩提樹の哀調のある歌い出しから少し経ってのち、「うっ」と小さな声が漏れた。
横を振り向くと、うつむき加減の純子の頬に涙がボロボロとこぼれていた。
——感極まって——としか言いようが無い。
私は無言のまま、子供をあやす様に彼女の膝をぽんぽんと叩いた。
一番後ろの壁ぎわだから、誰も気づきはしないだろうと思った——
ところが演奏が終わった途端、O氏は二言三言母国語をつぶやくとバックヤードに消え、再びカメラを手にして現れるとピアノの上に据えた。
それから何事もなくプログラムは進んだのだけれど——
コンサートの最中、歌い手がカメラを向けるほど心惹かれる光景って?……………
拭いきれないほどの涙を流している純子の姿以外にあろうはずが無い。
O氏は全てアカペラで歌い最後の一曲、シューベルトの「鱒」をピアノ伴奏と共に締めくくった。
静かに沈潜していた思念が突然光を帯びて高揚したように曲調は変わり、流れの中を自由に泳ぎ疾駆する鱒の、生命の喜びを歌った明るい歌曲はフィナーレに相応しかった。
ザワザワと出口へ動く人の流れをやり過ごし腰を上げた時、O氏に同行している通訳の女性が
「和室の方でO先生がお待ちです」と歩み寄った。
二人で顔を見合わせ戸惑いながら同行すると、会場作りのために移動した家具がひしめく中、金茶色のソファに腰掛けていたO氏が立ち上がって握手を求めて来た。
「私は今年八十歳を迎えました。海外での演奏会はこれが最後になるでしょう。好運にも今日、清らかな風景に出会いました。今までの演奏会で一度も巡り会った事のない清らかな風景です。抗い難い思いから断りなくカメラを向けた失礼をお詫びします。どうぞ私の心をお察しくださいますよう」
通訳らしい女性を介して話を聞きながら、ドイツの人に限らず、欧米人はなんて気の利いた言葉を話すのだろうと半ばボーっとしていると
「私たちこそ良い思い出をいただきました。感涙に浸った経験は初めてです。どうぞいつまでもお元気で優しい歌声を届けてください」
舌足らずだと思っていた純子が立派な挨拶を返していた。
すっかり閑散となった玄関で靴を履いていると、あの﨟たけた婦人が姿を見せ
「とても素敵な装いで…」と声をかけてきた。
私はテラコッタ色のパンツスーツだから「素敵」の範疇にない………。
純子のいでたちは…胸にピンタックを寄せた白い筒袖のブラウスに、黒いエナメルのベルトで絞った深緑色のフレアースカート。
出迎えた時のあの眼差しがその洋服に注がれている。
純子は慌てて着ている服を改めてから
「これ若い頃のものなんですよ」と嬉しそうに言った。
「これはO先生に頂いたドイツのお菓子です。お二人で味わってみてください」
婦人は小さなクリアケースに入った色とりどりの「グミ」を差し出した。
思わぬ事の連続でおたおたしながら好意を受け取り、夫人のお宅を後にした。
帰りの道すがら二人で熊の形をしたグミを一粒ずつ口に放り込んだ。
あまりの弾力に口をモグモグさせながら
「ドイツのグミって歯固めみたいだねー」と純子。
「まさしくそうだよ。子供たちの顎や歯を丈夫にケアするためのお菓子なんだって」
ドイツ帰りの知人からその様に聞いて頂いた事があった。
日本のグミと違いクセのある味と歯応えに一時病みつきになって、専門店を探し回った経験がある。
「もうひとつ」純子はふた粒めを頬張った。
ついさっき、しゃくり上げそうなくらい泣いてたのに——しゃあしゃあとしている彼女にすこし呆れた私は思い切って尋ねてみた。
「なんで涙が出た?」
「それが解らないのよ…‥なんて言うか、溢れてくる何か……ちょっと説明できないなあ」
やっぱり舌ったらず——と思ったが続いた言葉にまた驚かされた。
「ねえ、佐和さん。儘ならないものを内に溜め込んで何でもないように装っていても、清冽なものに触れた瞬間、堰を切ったように思いが溢れてくるものなのねえ。涙のわけ?って聞かれたら、答えはたったひとつ。私の「カタルシス」かなあ………」
言われてみれば自分もそうだ。ずいぶん昔から儘にならないものは「生きること」それ自体と感じながら人生を送ってきた。
抑圧された日常を脱出する為にコンサートと名のつくもの、小さなホームコンサートやロビーコンサートに至るまで聴きに行った。感動に目を潤ませることもあった。
ささやかな喜びは「大向こう」にいる様な儘にならない人生を何とか受容してきた様に思える。
「グミ、ちょうだい!」
茶色いクマのグミを一粒口に放り込む私。
「私もー!」と赤いグミをつまむ純子。
色覚と、味覚と、何より固い歯応えを愉しみながら二人家路についた。