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    しろ長くつ下のピッピ(3)

 その日の夜、子犬は下痢をしてしまった。
 シートを変えたりお尻を拭いたり、父さんを除く三人は大忙しだった。 
 夜10時を過ぎた頃ようやく下痢は治まり、仔犬はキャリーバッグに体を埋めて眠り始めた。
「想定外、想定外」と呟きながら母さんは明日朝一で動物病院につれていくと言った。
 

 次の日授業が終わると、僕は坂道を転がる様に走って帰った。
 暖かい日射しの差し込むキッチンの窓下で、仔犬は何事もなかった様に寝ていた。
「病院、どうだった?」
「もう大丈夫みたい。お腹の張りがまだ弱いから当分気をつけてくださいって」
 キャリーバッグの横に置かれた白いバスケットの中に「○○ちゃんのお薬り」と書かれた袋とパピイ用のドックフードが置かれていた。「○○ちゃん」の文字に思わず笑ってしまった。、
「名無しの権兵衛だもんな」と仔犬の背中を撫でながら
「当分、てどれ位?」と、母さんに聞くと僕の隣にしゃがみ込んで
「そう、それなのよ問題は」と言った。 

 そして、ため息混じりに
「仕方がないか」といった。
「仕方がないって?」どういう意味か分からず、きょとんとしていると
「仕方がないから……家で飼っちゃお」 母さんは覚悟を決めたという様に口を引き結んで笑いかけた。

「ほんとにほんと?」
「うん、ほんとにほんと」
「わーい」と僕は叫んだ。持っている大切なもの誰かに全部あげてもいいくらい嬉しかった。
「名前はどうする?」
「そうだね。私が決めてもいい?」 母さんは茶目っ気たっぷりの顔をして言う。
「あのね。お腹をこわしてピッピーになっちゃったから、語尾を詰めて“ピッピ“なんてどう?」
「お腹ぴっぴーになったからピッピ?なにそれ」不服そうに答えながら、“ ピッピ“という響きは嫌いではないと思った。

「ピッピ?」
「そう、ピッピ」
「可愛いね」
「可愛いでしょ」
 
 ピッピはフイと顔を上げて大きな欠伸をした。自分の上にかぶさる二つの顔をどう思っているのだろう。

 帰宅したいちかが事の顛末を聞いて
「うちの子になったんだ。ピッピ、可愛いじゃん」と名前の由来には一切こだわらなかった。
 その夜、帰宅した父さんは自分の思い通りに一件落着した様子に笑顔がこぼれた。

 あと一回予防接種が残っていて、それが済むまではピッピをリーナやダンに近づけてはいけないそうだ。あと二週間後。それが済んだら初めての散歩だ。

「僕が一番先」
「えー、わたしだよ」
 ぼくもいちかも、散歩デビューのリードを引きたがった。
「土曜か日曜を選んで二人で一緒に行けば」母さんが提案した。

 リーナは相変わず、ぎょろっと横目がちに皆んなを見ていた。もう十三歳になる、おばあさんだ。
 いちかは
「リーナも可愛いよ」と、引きこもったドームハウスから引きずり出して抱き上げ、頬ずりをしていた。
 言葉は話さないけど犬も人間と同じだ。「愛され、かまってもらいたい」のだ。僕は庭先につながれたダンに、新しい水をやり、ドックフードの上にササミのふりかけとチーズを乗せてやった。今日は特別の日と同じご馳走だ。ダンはがつ、がつ、がつと三口で平らげてしまった。

 晴れて散歩デビューの日。
 ピッピは赤い胴輪とリードに繋がれて外に出た。初めて踏む地面を、ものおじしないで歩いている。
 里親探しで歩いた道で、何人か尋ねた家の人と出会った。飼うことになったことを伝えると、皆んな「よかったね」と口々に言った。
 ピッピは嬉しそうにアンテナみたいにぴんと伸びた尻尾を振って応えていた。

 散歩から帰ると、藤井さんが家周りを掃除していた。   
 赤いリードに繋がれたピッピを見て嬉しそうに
「よかった。飼うことになったのね。 名前は?」と尋ねた。
「ピッピです」僕が答えると
「ピッピちゃん?あの “長くつ下のピッピ“ からとったの?」と言った。
 僕といちかは顔を見合わせた。いちかの、ぼくにとってはお古の絵本。小学生になって児童書も買って貰った、「長くつ下のピッピ」

 ・左右色違いの長くつ下を履いた
赤毛にそばかすの女の子
 ・みなしごなのに大金持ち
 ・学校は気の向くまま
 ・猿と馬が家族
 ・冒険好きで力持ち


 奇想天外で楽しい物語のキイワードが僕の頭の中で踊った。母さんが「ピッピ」と言った時なんで思い出さなかったんだろう。 

「でも」とぼくが言いかけると、いちかが遮るように 
「はい、そうです。その、長くつ下のピッピのピッピです」と答えた。
 そうだ。お腹こわしてぴっぴーになったからピッピなんて絶対言えない。ピッピの名誉のためにも。
 こういう時の嘘は、きっと許されるだろうと思う。

 藤井さんは、ピッピの長く垂れたを耳をタプタプと持ち上げながら
「ピッピちゃんの足、白い長くつ下履いたみたいだから“ しろ長くつ下のピッピ“だね」と言って笑った。



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