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想像していなかった未来
ときは平安。
飢餓と疫病で荒廃する時代。
しとしとと降り続く雨の中、
羅城門の軒下で悩み果てる男がいる。
空腹だが銭もない。
野犬の餌になるか、強盗をして生き延びるか。
究極の二択をしなければならなかった。
生きるとは何か。
自然界の動物にとっては当然の行いが、
心優しき男の良心を困惑させる。
極限状態に追い込まれた人間はどのような選択をするのか。
芥川龍之介の羅生門を思い出した。
人間の利己主義を克明に描いた作品だ。
悪とは何か?というテーマに沿ったフィクションだが、妙にリアリティのあるとして海外からの評価も高い。
混沌とした当時の時代背景を踏まると、実話として存在してもおかしくない。
そう感じる人も多いだろう。
京の都にそびえたつ羅城門。
朱雀大路の最南端に設置された平安京の玄関口。
都の威容を見せるために造られた、いわば国の顔のような存在だ。
諸国からの来賓をもてなし、
権力を誇張し、
他にはない豊かさを表現したのだ。
そんな煌びやかな羅城門が朽ち果てることなど誰も考えもしなかった。
まして、遠い未来に探さなければ見つからないほど小さな石碑になっているなど誰が予想しただろう。
羅城門は980年の暴風雨で倒壊している。
のち、再建されることはなく現在に至る。
鬼が住み着いた。
とある藤原一族が噂を流す。
羅城門の再建に頭を悩ませた末、
住み着いた浮浪者を利用することにしたのかもしれない。
1000年もの年月は
わたしたちに何を伝えようと
しているのだろうか 。
鬼のルーツは極限状態に追い込まれた人間。
木皮を喰らい、犬猫を喰らい、家族をも喰らってしまう。
何もかも呑み込んでしまう恐ろしい存在となる。
飢えに苦しみ、
理性を失った人間を見てどう思うか。
この世界の終わり――。
誰もがそう思ったはずだ。
だが、現実はそうではない。
誰もが終焉をむかえたと思っていた世界は、
滾々と1000年以上も受け継がれている。
野に咲く雑草のように、
いくら踏まれても、
いくら刈り取られても、
わたしたちの命は引き継がれている。
ひと粒の種は
一輪の花となり、
青茂る大木となり、
やがて長老の住む森となる。
羅生門は何を見て、
何を思い続けてきたのだろう。
平安の人から見ると、
わたしたち現代人の働き方はどのようなものだろう。
当時の平民は日銭を稼ぐための労働をしていた。
その日暮らしをするために、
工夫に工夫を凝らし汗をかく。
何とか日銭をいただく工夫をする訳だ。
生きるために頭を下げ、
日銭をもらうために頭を下げ、
そして、つながりを持つために頭を下げる。
畑を耕し、釣りをし、家畜を育てる。
当時の労働はこれが平常だったのだ。
労使協定。
雇う者と雇われる者。
現在の働き方はこれが主流になるだろう。
平安時代と比べると自由度が高くなっていることが分かる。
会社を立ち上げたい人は立ち上げ、雇われたい人は労働者となる。
自分の意思でどうとでもできる時代となったのだ。
好きな時間に、
好きな仕事をし、
好きなように稼ぐ。
働き方は千差万別。
固定概念に縛られることなく、人生の1ページとして刻めばいい。
何を刻むかではなく、どう刻むか。
正社員で働くのもあり。
フリーランスで請け負うのもあり。
副業で稼ぐのもあり。
日雇いもあり。
派遣で働くのもあり。
この世界で、
わたしたちはどのような選択をすべきなのだろう。
ふと、長い歴史を知る羅城門に問うてみる。
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