#勇気の芸術 9 『バカじゃできない、のウソ』
昔から、芸の世界を志す人の傾向を見定めて、
「バカじゃできない。利口じゃやらない。中途ハンパはもっとダメ。」という言葉があって。
こういう格言は今、刷新できるというお話。
バカか?
お利口さんか?
中途ハンパか?という"問い"が当てはまらなくなってしまった。
今は、こういった"問い"の不適合がたくさん出てきている。
「バカ」は二種類に分かれる。
一つは、自分の限界を限界と思わずに突き進むことができること。強い。
もう一つは、学ぶことをやめてしまった状態。
「お利口さん」は、これからは価値を持ちにくくなる。あまりにも苦しい。学ぶことが違うってことに気づいていない状態。
#勇気の芸術 4 『お利口さんはつらいよ』
「中途ハンパ」は、ずーっと変化を選ばないこと。自分の知覚で生きることに気づいていないこと。こちらも学ぶことをやめた状態。
「バカじゃできない。利口じゃやらない。中途ハンパはもっとダメ。」は、人をカテゴライズすることで『じゃあどうすればいいの?』を生み出してしまう。
カテゴライズせずに、
自分が『生きる学び』を積み重ねられるか?
それだけ没頭できることなのか?
学べる環境をつくりだせるか?(もしくは元々持っているか?)
これらは本当のところ、自分にしか見極められない。他者にはムリだ。
でも、自分でも始めから分かるはずもない。
傾向は、結果の分析と統合だから。
自分の結果が始めから分かるはずもない。
ずっとその世界でやってこれているからって、「自分はやってこれた」だけで「他の誰か」が当てハマるハズがない。
『私はコッチ』と、どちらか一方を選ぶ必要はなくって、この景色を知っていればいい。
知っていれば、その時々の学びを自分の頭と体が選べる。
しかし、個人的には、
芸術として始まり
↓
芸術↔️芸能↔️芸術↔️芸能……#〇&"#!@?*
↓
芸術でアウトプット
は、普遍的だと思っている。
両方を絶えず行き来することが、色濃い学びを得ることだけど、最後にアウトプットをする時は、『自分』なのだから。
舞台に立つことも、作品を出すときも。
そして、人の前で想いを話すときも。
すべての人が、みずみずしく生きれる、小さな芸術家だと思ってます。
ときどき昔の詩
~人ってやつは~
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