#勇気の芸術18 『相手の話を聞いてるようで聞いてなかった。何かその重ね合いが楽しい時もあった。』
『勇気の芸術』というテーマで、舞台や太鼓から教えてもらってきたことと、研究してきたことをツラツラと書いています。
第2章はコミュニケーションが主題です。
前回の「自分を話す」に続いて、今日は「聞く側」について。
【話を聞くときにやってしまいがち】
・「話を聞いてるんだから、何か解決してあげなくてはいけないぞ!俺!」と潜在的に思うこと。
・自分の経験をはめこんで相手の話の解決をしてしまうこと。
どちらもありがたいほどの「相手を思う気持ち」があっての行動なので、これが厄介です。
実は世代ごとのコミュニケーションのハレーション(摩擦)が起きるのも、こういった相手を思う気持ちからでもあります。
「じゃあ相手を思い過ぎならやめるわよ、ぷいっ」なんていじけてしまわれても、みんなこまってしまいます。。
その温かい気持ちは互いになくす必要はないはずです。
ここであきらめては『伝統』も『承継』も、『次の世代にマシな未来を』もへったくれもありません。
【世代間のコミュニケーションで気を付けるコト】
・方法に価値のあった時代を生き抜いてきた世代のhowで解決する傾向
・howではなく意味や価値に重きを置いている世代が大切にしたい想い
世代間のコミュニケーションは、この辺りの行き違いに苦しみがあるように思います。
how癖は無意識に即効性を求める習慣からうまれています。
話を直ぐに解決しようとすることはもはや今は怠慢にもなってしまう。。
相手のコトを単純化し、余計に殻を分厚くしてしまったり、殻を突き破っても中からいびつな形でしか出て来れないようにしてしまう圧力となりかねません。
心の通ったコミュニケーションがとれないと感じていたら、両面から多角的に学んでみる必要があります。
相手が変わるのは相手次第です。
自分自身が気づくことでしか変われないので、自分が相手を思う気持ちのある善人である場合には、話を聞いてる中で相手の悩みを解決なんてしようとすると、これはまあ見事に本末転倒になるということです。
もしかしたら「こうあるべきだ」「こうじゃなくてはバカにされる」という競争社会で発生した、息苦しい念がまだ眠っているかもしれないので要注意です。
【人も社会も生きている物語】
時代が移り変われば文明が変わり、環境が変わり文化が変わり、いつのまにか人も変わっています。
しかもそれはぬるっとグラデーションのように変わるので、自分の知覚で学び、いつも時代と共に生きて、炭鉱のカナリアのように世間を察知する必要があります。
人の理念は歴史的背景や社会的な意味、社会の生産様式でコロっと変わっていきます。
今大事に思ってることの大半は100年後には大事ではないはずです。
もしかしたら3年後、1年後、またパンデミックが起きれば来週にってことだってあるのです。
古くからずっと残っているモノが今を切りぬけて残る。恐らくそんなモノがこれからも大事です。それを自分らしく磨いて次に残せばいい。
だからがんばって抗わなくていいし、競わなくていい。
本当の自分らしさもなくならないはず。
なくなったものはいらなかった。
それだけでいい。
話を聞くということは否定も肯定もなく、気分的には話し手のユニークな物語をおもしろがって一緒に冒険に出るように楽しむことです。
自分の経験の物語を使って解決をしてしまうと、相手の物語を奪うことになります。
大事なのは本当に聞く姿勢です。
自分と相手の物語が同じであるわけがないので、せっかくのおもしろい物語を単純化してしまわないように気を付けなければいけません。
「自分を話す」ことに夢中になっている話し手のふところに飛び込んで、巻き込まれてみるのも悪くないモノです。
相手の観ている風景を純粋に知ることはなかなか面白いことであり、これまで感じることのなかった学びのチャンスにもなります。