#勇気の芸術 12 『学びを止めたい人なんていない』
僕たちは、
たくさんのコトを知れる社会の中で暮らしてる。
とんでもないスピードで情報がなだれ込んでくる。
その社会に適応し過ぎている人と、
触れることすらもせずに(できずに)、
何が起きているかが分からない、適合不全の人がいる。
たくさん学んだフリをして、
人を評価するだけの人。
自分では何もつくり出していない人に多い。
学びのための、
純粋な自分の知覚の準備ができていないと諸刃のつるぎになる。
学びを止めた人は、何が起きてるかわからない。
学びを止めた人は、
今と未来を、生きることをあきらめてるとも思う。
でも、本当は学びを止めたい人なんていないはず。
学ぶということを好きになれない、規制がどこかで掛かっている。
僕がまだ幼かった頃、前世紀の後半にインターネットが現れた。
その頃から「知覚より先に知識が増える」ということが始まっていた。
もちろん自分にも、心当たりがある。当事者だ。
その後、数十年であっという間に子どもたちを危機的な成長へと進ませてきたような気がする。
大人たちは「ただ先に知りすぎた子ども」を叱らないで欲しい。
それは子どもたちのせいではないし、その土壌をつくった当事者である大人たちのせいであるともいえない。
(どんな未来へとつなげていくかを考えてこず、大きな視座に立って目の前のことに抗ってこなかったことに対しては、責任を感じるのはいいかもしれない)
ただ時代っていう大きな力が、
生活に及ぼしている影響だとでも思った方が今後のやりがいがある。
「そんなことも分からないの?」という言葉が、僕はキライ。
昔は上から下に向かって吐かれていたこの言葉が、今は下から上に向かってる。
どちらが言っても、不毛だ。
自分の物語と、他人の物語は違う。
「なんでそんなこと言えるの?」と、ついつい言い返したくなる。
ときどき詩 その三
『学びを止めたい人なんていない』
「勉強しなさい」をやめよう
学びたい気持ちを育てて欲しい
勉強しなさいは その気持ちをへし折る
学びを止めたい人なんていない
本当は誰だって学びたいはずなんだ
勉強を『教える』ということは
ただ『覚える』ことを強要していることなんだ
教えるのではなく ともに学んでる
あなたがどうやったら気づくか
それを学んでいる
あなたの気づきは
僕の知らないことかもしれないから
だから楽しい
教えられることなんて そんなにない
悟るな
悟れるのは 死を身近に捉えてる人だ
全てを知ったふりをするな
自分の物語を人に
学びを人に頼るな
逃げるな
全てを知ってる人だと誰かを崇めるな。
子どもたちは
大人たちの飽くなき学びの姿勢を待ってる
飽くなき挑戦をする大人がみたいんだ
まねをしたいんだ
学ぶことをあきらめないでほしい
先輩たち
僕よりも死に近いであろう
あなたたちがみせる『勇気の姿勢』は
みんなの希望となります
権威なんかもう必要ない
そのどっぷりと座ってるイスから
立ち上がってほしい
豊かさが変わり そこかしこでゲームが変わってる
それに気づかずにイスを取りあってる場合ではない
ギリギリまで希望は捨てない
まだ
みんなみずみずしく生きれるはずなんだ。