#勇気の芸術 2 『人間力ってなんなんだ』
『新しい文化をみんなでつくろうよ』
といったところで、
そんなことが、いともかんできるならみんなとっくにやってると思うのです。
できない理由が多くの人にとって明らかじゃないから、なかなか進まない。
それにこの類いの話は多くの人にはどうも難しく聞こえてしまって、つまらない。(僕は面白くても。特に僕の奥さんには面白くないみたい)
多くの人にとってはなかなか面倒くさい話だとも思います。
『人間力ってなんなんだ』
『人間力』というと、
なにかこう人の強さの不思議を差していうときに使われるのだと思います。
「あの人は人間力があってすごいわよね」とか、
「あの人は人間力があるから成功したのよ」とか、
反対に「私は人間力があるからすごいだろう」というのは、
何かおかしなことに聞こえてしまいます。
だいたいに、
力強く生きていくための力を差して『人間力』という言葉が使われることが多いのだと思いますが、はたしてそれは弱さこそは『人間力』ではないというようにも聞こえてしまう。
強さについては、人の信頼を得るという面はたしかにあります。
しかしながら、弱さは他の人が入りこんでくるための余白を生み、助けてもらえたり、愛されるという面があります。
また、
強い人はえらいんだ、
みんなそうなるべきだ、
というような風潮や教えは、
なんだか新鮮ではなく実にピンとこなくなってきているのだと思います。
こうなると『強さと弱さ』という論争のために、
『人間力』というコトがあるわけではないのではないか。。。
(今はこういった角度の話し合いに、今の誤解や、ゆがみ、そのひっぱり合いから生まれる痛みを解消してくれることがあるのだと思います。)
「ありのまま」であることは、
強いことかもしれないし、
よわいことかもしれない。
「ありのまま」であることが悪いような文化風習は余りにもつらい。
みんなが「ありのまま」ではいけないとされるからまた、人間力も誤解を着させられている。
本当の自分らしさがあるから、
見るもの、感じるものに本当に喜びや苦しみを感じる『知覚』がある。
その「らしさ」なんてのは、明日には変わってしまうかもしれないけど、それでいい。
そんな「ありのまま」の「それでいい」ということについて、『知覚』についてもう少しはっきりと見えるようにしていきましょう。
つづく
ときどき詩 その一
『なんなんだ』
なんなんだ
コレはなんなんだ
みんな「なんなんだ」と思ってないのはなんなんだ
「なんなんだ」と思わなかった俺はなんなんだ
そんなに忙しいのかもなんだ
ちょっとわすれているだけなんだろう
今まで覚えたこととかがちがってたんだろう
けど
それはそれで楽しめるはずなんだ
それでもいいはずなんだ
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