若手外科医の執刀をどう思いますか?
今日は私たち夫婦にとって特別な一日、となるはずだった。
何日も前から楽しみににしていた銀座の名店でのお寿司。期待に胸を膨らませお店に入ると、大将の意外な言葉に耳を疑った。
「今日は若いのが握るんで、よろしくお願いします。」
大将の理屈はこうだ。
寿司という文化も継承が必要である。いつまでも大将が握っていたのでは、10年後、20年後の日本の寿司文化が廃れてしまう。そこで思い切って、若手にチャンスを与えることにした。あなたは大将の申し出に納得できるだろうか?
おそらく僕なら、こんな提案に納得することなどできない。質の高いサービスを求めて、それなりの対価を払っているのである。ましてや寿司文化の継承に、僕自身にはなんの責任もない。
では手術の執刀を、若手が行うとしたらどうだろうか?
百戦錬磨の外科医と、経験の浅い修練医では、どうしても手術の質に差が生じる。つまり患者の健康に少なからぬ影響がでる可能性がある。ただその一方で、外科医療の持続可能性(いわゆるSDGsである)のためには、次世代の育成は欠かせない。老練な外科医がいつまでも執刀し続けたら、次世代の患者さんは、大変な目にあってしまう。
これは、まさしくプロフェッショナリズムの問題である。
複雑な知識と熟練した技能が要求される職業はプロフェッションと呼ばれる。外科医はまさにプロフェッションだ。そして、プロフェッションに就く者、それがプロフェッサーである。プロフェッサーは和訳すれば教授であり、これは知識や技術を継承する者という意味だ。
つまりプロフェッサーの責務とは、
「質の高いサービスを提供する」と同時に、
「その質を継承していく」義務を負う。
「質の担保」が目的であれば、必ずしも自らが執刀しなくとも、高い品質を担保することは可能だ。そして「技術の継承」が目的であれば、次世代を担う若手にチャンスがあったほうがよい。
こう考えると、「質が担保されていることを見守る」ことにこそ、プロフェッサーの重要な役割があるのではないだろうか。つまり、若手が提供している技術が、自らの質と同等である限りは、それを見守ることが技術の継承となる。質が劣っていると感じた時には、直ちに交代しなければならない。そうすることで、高い質を保証するのである。
本来のプロフェッショナリズムが実践されていれば、前述の大将の提案は、こんな形になったかもしれない。
こいつ若く見えますけど、努力してて、腕は本当に確かなんですよ。そこは僕が保証します。ちょっと1品だけでいいので、こいつの握ったものを食べてやってもらえませんか?
こんな提案ならどうだろうか?ここは一肌脱いでみようと、思わないだろうか?