見出し画像

日本再生:個人の成長と社会の繁栄をいかに実現するかーはじめに



日本人と日本社会を再生する第一歩


日本人と日本社会を再生するための第一歩を示すこと—これが本書の目的です。(実は、もっと広く、人間や人類文明そのものについての考察でもあります!)

日本を再生するためには、日本人一人ひとりの潜在能力を最大限に引き出せる学校、企業、そして社会を構築することが不可欠です。その実現には、私たち自身の考え方を自ら変革する必要があります。理由は明白です。共有する考え方が変わらなければ、私たちの行動や制度も変わることはなく、その結果として、個人、組織、そして社会もまた変わることができないからです。

進化論的視点からの考察


本書では、人間と社会について多岐にわたる議論を展開しますが、その根底にあるのは進化論的な視点です。つまり、本書の方法論は、チャールズ・ダーウィンが提唱した進化論を基盤としています。

ダーウィンは、進化のメカニズムを【変異(variation)→選択(selection)→遺伝(heredity)】というプロセスで明らかにしました。具体的には、集団内で個体ごとに形質に違いが生じ(変異)、その違いが生存や繁殖における有利不利をもたらし(選択)、その形質が親から子へと伝わる(遺伝)ことで、集団内の形質の構成や分布が変化するというものです。この一連の過程を通じて、「自然淘汰による進化」が進むというのがダーウィンの進化論の核心です。

図表 1:ダーウィンの進化論

出所: 藤原晴彦(著)『超遺伝子』、光文社新書 1257、2023年、図表1-1


ただし、本書が採用する進化論は、ダーウィンの理論をさらに拡張した新しい現代進化論です。この現代進化論には、従来の理論に加えて、三つの新しい視点が組み込まれています。

第一の視点-利己的遺伝子が生む協力関係


第一の視点は、リチャード・ドーキンス(Richard Dawkins)が提唱して広く知られるようになった「利己的遺伝子(Selfish Gene)」の概念です。この考え方は、ウィリアム・ハミルトンの「血縁淘汰説(Kin Selection Theory)」に基づいています。「血縁淘汰説」は、ダーウィンの進化論では説明が難しかった生物の高度な社会性を解明する理論であり、ダーウィン以降の進化生物学における最大のブレイクスルーの一つとされています。

「利己的遺伝子」という言葉を聞くと、多くの人は人間を利己的に行動させる遺伝子のことだと思いがちです。しかし、実際にはこの概念は逆説的でありながら非常に興味深い結論を導き出します。「利己的遺伝子」の枠組みからは、人間の利他性や協力性がどのように進化してきたのかを理論的に説明することができるのです。


「利己的遺伝子」は、自ら生き残るためにあらゆる手段を講じます。その一つとして、遺伝子の乗り物(vehicle)である人間同士を協力させることが、合理的な戦略として選ばれる場合があります。つまり、状況によっては、人間同士を争わせるよりも、協力関係を築く方が「利己的遺伝子」にとって有利に働くことがあるのです。

リチャード・ドーキンス自身は若い頃、人間は生まれながらにして利己的であると信じていたため、当初はこの点に明確に気づいていなかったようです。しかし、『利己的遺伝子』出版40周年記念版の序論において、ドーキンスは「利己的遺伝子」の概念が人間の利他的性向や協力的性向を生み出すことをはっきりと明記しています。この逆説的な結論は、「利己的遺伝子」がいかに柔軟で多面的な行動を引き起こすかを示していると言えるでしょう。

第二の視点-階層淘汰が生む利己性と利他性


第二の視点は、デイビッド・スローン・ウィルソン(David Sloan Wilson)が広めた「階層淘汰(Multilevel Selection)」の理論です。この理論により、人間の本性には利己的な要素と利他的な要素の両方が備わっている理由が巧みに説明されるようになりました。

階層淘汰理論によれば、自然淘汰は複数の階層で同時に作用します。すなわち、「グループ内競争」では利己的な個人が利他的な個人に勝利しますが、「グループ間競争」では利他的な個人が多いグループ、つまり「利他的グループ」が、利己的な個人が多い「利己的グループ」に勝つという仕組みです。

その結果、グループ内競争とグループ間競争が同時に存在する場合、人間の心には進化の過程で利己的性向と利他的性向の両方が緊張関係を持ちながら共存することになります。

これら二つの新しい進化論的視点によって、人間の利己的性向と利他的性向が相互に影響し合いながら共存しているという結論が導かれます。この結論は、経済学が前提とする「自己利益を最大化する利己的人間像」を根本的に否定するものであり、人間本性の多面的な理解への扉を開くものです。

第三の視点-信念体系としての文化遺伝子


第三の視点は、ドーキンスとウィルソンの両者が指摘しているように、ダーウィンが提唱した進化の3条件、すなわち【変異(variation)→選択(selection)→遺伝(heredity)】を満たすのは「生物遺伝子」に限らないという点です。

特に、「生物遺伝子」だけでなく、「文化遺伝子」もこの進化の3条件を満たしているという視点が重要です。「文化遺伝子」とは、私たちが持つ信念体系を指すと理解すれば良いでしょう。

「文化遺伝子」は「生物遺伝子」と同様に、進化の3条件を満たし、【変異→選択→遺伝】というプロセスを通じて進化していきます。つまり、私たちの信念体系である「文化遺伝子」もまた、進化論的な分析の対象となるのです。この視点により、社会や文化がどのように変化していくのかを進化論的に捉えることが可能になります。

人間社会と文化遺伝子


これら三つの新しい進化論的視点を通じて、人間がどのように協力関係を築き、グループを形成し、さらには国家のような巨大な社会組織を維持してきたのかという、人類史における重要な問いに答えることが可能になりました。その中で重要な役割を果たすのが、「文化遺伝子」という概念です。

私たちの考え方や信念の多くは、文化遺伝子として社会的に共有されています。言語、倫理、慣習、制度、政策といった社会的要素は、文化遺伝子が具体的に表現された形であると考えることができます。進化論の分野では、このように文化遺伝子が具体的に表現されたものを「文化遺伝子の表現型(phenotypes)」あるいは「生物遺伝子の拡張された表現型(extended phenotypes)」と呼んでいます。

文化遺伝子は、特定の考え方、行動、制度を時代を超えて受け継ぐことで、社会秩序を維持する仕組みを担っています。しかし、社会を取り巻く環境が変化する中で、文化遺伝子もそれに応じて進化しなければ、社会が望ましい状態で存続することは難しくなります。この適応のプロセスが、文化と社会の持続可能性にとって極めて重要な意味を持つのです。

日本再生に必要な条件とは?


本書のテーマである「日本再生」に関連付けて議論するならば、激動する新しい世界環境に適応するためには、日本の文化遺伝子、すなわち私たちの信念体系を進化させる必要があるという結論に至ります。

文化遺伝子が進化すれば、その表現型である日本社会の言語、倫理、慣習、法律、制度、政策を適切に変化させることが可能になります。この変革を通じて、学校や企業、そして社会全体が自己変革を遂げ、日本再生の最終目標である個人の成長と社会の繁栄を実現できるのです。

ここで強調したいのは、文化遺伝子は私たち自身の強い意志と知性によって進化させることが可能であるという、その最も重要な特徴です。

つまり、不確実で複雑な世界環境の変化に適応するために、私たちは明確な目的を持ち、進化のメカニズム【変異(variation)→選択(selection)→遺伝(heredity)】を意識的に応用することができます。それによって、文化遺伝子とその表現型である社会制度を変革し、未来を切り開くことができるのです。

現代の日本の若者たちー「何も変わらない」?


ところで、この世の中について「何も変わらない」と感じている人はいないでしょうか?実際、多くの日本人、特に現代の若者たちは、「世の中は何をしても変わらない」と思い込んでいるように見受けられます。

アンケート調査によれば、「自分を変えることはできない」「自分が何を言っても会社は変わらない」「自分が投票しても政治は変わらない」「個人が何をしても社会は変わらない」と考える人が圧倒的に多いという結果が出ています。

こうした考え方は、多くの日本人が「現状を変えることはできない」、つまり「しかたがない」「しかたない」と諦めている心情を反映しているように思われます

絶望の国の幸福な若者たち


タイトルが実に素晴らしい古市憲寿の著書『絶望の国の幸福な若者たち』には、自分の身近な日常の中で小さな幸せを見つける若者たちの幸福観が鮮やかに描かれています。

現代の若者たちが感じる幸福感の背後には、大きな社会や国家に対する絶望感、つまり「何も変わらない」という確信が深く根付いているようです。それは、自分の小さな日常を超えた広い世界に希望を見出すことができないという感覚を意味しています。

言い換えれば、若者たちは自分の身近な日常生活という狭い世界の中で小さな幸せを見つけ、それで満足せざるを得ないという、ある種の強迫観念に似た感情を無意識のうちに抱いているように見えます。

承認をめぐる病(承認欲求)


内容が実に洞察力あふれる斉藤環の『承認をめぐる病』も、若者たちの「変わらなさ」に対する確信について触れています。たとえば、「学習や修練によって、できないことができるようになる」という変化への不信感、すなわち「自分に『持っていないもの』は、努力しても仕方がない」という考え方です。

古市憲寿が主張する「多くの若者が幸福だと感じている」という見解に対し、斉藤環は「うつ病に陥る若者も同時に増加している」点を指摘しています。そして、「現在の若者における『幸福』も『不幸』も、いずれも『変化』を断念した結果として生じ、それによって強化されているだけではないか」という鋭い視点を提示しています。

さらに斉藤環は次のようにも述べています。若者が感じる「コミュ力偏重」や「承認欲求」とは、「他人からの承認がなければ、自分を愛することすら難しい」という現実を表している、と。そして、若者たちがコミュ力偏重と承認欲求に依存するようになる過程には、構造的な必然性があるとも指摘しています。つまり、「そうなるより仕方がなかった」という社会的な構造が、この現象の背後にあるということです。

変化への不信、学ぶ意欲の喪失、そして「しかたない」


若者たちの「変化への不信」は、「学ぶ意欲の喪失」にもつながっていると考えられます。なぜなら、学びとは人間としての成長を促すものであり、成長は変化を伴うからです。

教育現場で長年にわたり若者を見続けてきた諏訪哲司は、その著書『オレ様化する子供たち』や『教育大混乱』の中で、1980年代中頃から若者たちが変容し、学ぶ意欲を失い始めたことを指摘しています。

諏訪の著書を通じて明らかになるのは、若者たちの特殊な幸福感とうつ病の背景にある「変化への不信」が、彼らの「学ぶ意欲の喪失」と密接に関連しているという点です。変化を信じられない姿勢と学ぶ意欲の欠如は、現代日本における社会現象の重要な象徴ではないでしょうか。

つまり、多くの日本人、特に現代の若者たちは、「変化への不信」と「学ぶ意欲の喪失」を通じて、「しかたない」という受け身の考え方に囚われているという結論に至ります。(注:「しかたない」という文化遺伝子は、ダーウィンの進化論を説明する図表1の中の薄い丸に対応しています。)

マララは「しかたある」という考え方の持ち主


2014年にノーベル平和賞を受賞したマララ・ユスフザイ(当時17歳)の話を耳にしたことがある人も多いのではないでしょうか。マララは、中学生の頃からタリバンによる女子校の破壊活動を批判し、女性教育の重要性や平和の必要性を訴える活動を続けてきました。

しかし、2012年、通学中に乗っていたスクールバスがタリバンに襲撃され、頭部と首に銃撃を受けました。マララは奇跡的に一命を取り留めたものの、あと少し銃弾の位置が違っていれば命を落としていたかもしれません。その後のマララの発言や活動もあり得なかったかもしれないのです。ほんの小さな偶然が彼女の運命を分けたのです。

命を救われたマララは、2013年に国連で演説を行い、次のように世界に訴えかけました。

“One child, one teacher, one book and one pen can change the world. Education is the only solution. Education First!”
(1人の子ども、1人の教師、1冊の本、1本のペン、それが世界を変える力を持っています。教育こそ唯一の解決策です。教育を第一に!)

出所:United Nations Youth Assembly, 12 July 2013, United Nations, New York(訳は著者による)

マララのメッセージは明確です。たった1人の小さな人間でも世界を変えることができ、小さな行為が大きな結果(バタフライ効果)を生み出す可能性がある、というものです。そして、その変化を可能にする鍵は教育だと強調しています。マララ自身の活動と生き方そのものが、この主張の説得力を体現しているのではないでしょうか。

要するに、マララは「しかたある」という考え方の持ち主なのです。(注:「しかたある」という文化遺伝子は、ダーウィンの進化論を説明する図表1の中の黒い丸に対応しています。)

教育の本来の目的


マララが訴えたように、教育は私たちに直面する問題を解決し、世界を変える能力を与えてくれるものです。教育は、さまざまな課題に対して批判的かつ深く考える力を育む場であり、ひとりひとりの潜在能力を開花させる場であるべきです。

すでに模範解答が存在する問題を、制限時間内に条件反射的に解く練習は教育とはいえません。なぜなら、それは思考停止を意味するからです。一つの問題について深く考えれば考えるほど、制限時間内に解答することはできなくなります。つまり、マララが指し示す教育とは、受験勉強とは本質的に異なるもので、物事を批判的に考え行動する能力を養うものなのです。

教育の本来の目的は、問題解決に必要な思考力と行動力という潜在能力を引き出し、「個人の成長」と「社会の繁栄」を実現することにあります。個人の成長とは、自律して考え、他者と協力して問題を解決する力を育むことであり、それが結果的に社会の繁栄に直結するのです。

未来に対する「強い希望」と「深い絶望」の分岐点は、「しかたある」と考えて問題解決に邁進するか、それとも「しかたない」と考えて諦めるかにかかっています。

すなわち、「しかたない」と考えるか「しかたある」と考えるかは、個人の人生においても社会の発展においても、決定的に重要な分岐点となるのです。私たちの考え方は、それを体現するひとりひとりの行動を通じて、社会全体の在り方を方向付ける力を持っているのです。

個人の成長と社会の繁栄の実現


「個人の成長」と「社会の繁栄」という二大目標を実現するためには、具体的に何が必要なのでしょうか。私たちはどのように行動し、何に取り組むべきなのでしょうか。

これら二つの目標を達成することは、日本人一人ひとり、そして日本社会全体の再生に直結します。「失われた数十年」と呼ばれる1990年のバブル崩壊後の長期的停滞を克服し、活気と希望に満ちた社会の復活が可能になるのです。

まず、あなた自身を含め、日本人一人ひとりが潜在能力を最大限に発揮し、充実した人生を生きるためには何が必要でしょうか。そのために、日本の学校教育はどのように変わるべきでしょうか。日本企業が創造力とイノベーションを取り戻し、活力を蘇らせるためには、どのような改革が求められるでしょうか。

さらに、日本が公的および私的分野において主体的な役割を果たし、世界を正しい方向にリードするにはどのような行動が必要でしょうか。そして究極的には、人類全体が協力し、個人の成長と社会の繁栄を同時に実現するために、どのようなビジョンと取り組みが求められるのでしょうか。

これらの問いに正面から向き合い、答えを見出すことこそが、私たちの未来を切り開く鍵となるのです。

いっしょに知的冒険の旅へ出発しましょう!


これらの問いに対する未知の答えを、みなさんと共に探し出す新しい発見の旅、知的冒険の旅へ出発してみませんか!

進化論的思想家であり哲学者のカール・ポパー(Karl Popper)が言うように、“All life is problem-solving”、すなわち「すべての人生は問題解決の過程である」、そして「すべての生命は問題を解決していく存在なのです」。


私たち一人ひとりの生命には、問題解決の能力が潜在的に備わっています。「しかたある」という考え方の蕾(つぼみ)がすでに私たちの内に宿っているのです。その蕾、すなわち私たちの潜在能力を、ここで大きく開花させてみませんか。

旅を終える頃には、日本再生という大きな目標、すなわち「個人の成長」と「社会の繁栄」を実現するための道筋が明らかになっていることでしょう。

Bon voyage! よい旅を!よい本の旅を!そして、善い人生の旅を!

この旅を歩むすべてのみなさん一人ひとりにGood Luck!

注: 下記の記事に続きます。

注: 自己紹介です。


いいなと思ったら応援しよう!

HS🎈
よろしければ応援お願いします! いただいたチップはクリエイターとしての活動費に使わせていただきます!