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ショートショート「猫が卵を温める」

その猫は、ミケという名前だった。ミケには生まれつき、子供を
生む能力が無かった。生物としては致命的ともいえるその自分
の特徴を、ミケは知らなかったし、またその飼い主である家族達も知ら
なかった。ただミケは、「なんか違う……」、と感じていた。

ある日ミケは、近くの柿の木の上で、一匹のスズメをしとめた。
そのときミケは、その木の上で、ある妙な物体を発見した。それ
は藁の中にうずもれた、小さな白くて丸いもの。1,2,3……、
4個のスズメの卵だった。

ミケの心に、何かピンとくるものがあった。ミケはその卵の上に
ゆっくりと身体を下ろし、目を閉じた。暗く遮断された視界、
その意識の中で、ミケは思った。これだ、私に足りてなかったものは、
この感じだ……。

「ミケ、ミケ、何やってんの? 降りてきなよミケ」

少女が呼んでいる。晩ごはんだ……。しかたないな、とミケは顔をしかめて立ち上がり、樹皮に爪をたてながら、スルスルと木から降りた。

「ミケ、ご飯だよ。ママが呼んでるよ」
「にゃああ」

明日もここへ来よう、そしてあの木の上の、白くて丸いものと
一緒にいよう、とミケは心に決めた。名残惜しそうにちらりと
木の上に視線をやったあと、ミケは家族の待つ家に向かって
トコトコと駆けていった。

次の日からミケは、木の上の卵を温めはじめた。変化が訪れたのは、4日後のことだった。腹の下に違和感を覚えたミケが立ち上がると、巣の中の卵のうちのいくつかが割れ、赤黒い不気味な生き物が、そこからノロノロと這い出してきたのだった。

「な、なにこの気持ち悪いセイブツは……。
 違う、全然違う!!
 全然違う全然違う!!ちがうちがう!!」

ミケは無言で絶叫した。ミケの心の中で、何かが崩れ去ろうとしていた。

その赤い生き物が、ミケの顔をまじまじとながめ、「ぴー」と鳴いた。ミケは恐怖を感じた。パニックにおちいったミケは、木の枝から地面へとジャンプし、家のドアにかけよってそれを爪で引っかいた。
「にゃあああ! にゃあああああ!!」
その声に気づいた少女がドアをあけた。
「あれ? ミケ、今日はもういいの?」
ミケの顔は、不気味な生き物を見た驚きに凍りついたままだった。まるで大切なおもちゃをいきなり奪い取られた子供のような……。少女はそんなミケの顔を見てあははと笑った。

その夜は雨だった。強い風も吹いていた。真っ暗な部屋で、ミケはテレビの上に寝そべり、不安な面持ちで窓の外の闇を眺めていた。その闇の向こうに、柿の木があるはずだった。

 あの不気味なセイブツ、どうしてるかな……。

闇の中に柿の木は見えず、その窓にはミケ自身の、不安そうな表情だけが映っていた。突然孤独を感じたミケは、床に飛び降り少女の部屋に向かった。ベッドで軽い寝息をたてる少女の布団にもぐりこみ、ミケは目を閉じた。なかなか眠れなかった。

暴風雨の次の朝、空は真っ青に澄み渡っていた。ミケは朝食をすませると、少女の母親に開けてもらったドアから外に飛び出し、柿の木に向かった。バリバリと爪をたててよじ登り、いつもの枝にたどり着いたミケは、愕然とした。

 なくなってる……。あのセイブツも……、いない……。

ミケはしばらく庭をうろつき、巣と赤い生き物の痕跡を探したが、それを見つけることは出来なかった。失意とともにミケは家に帰った。少女にだっこされてテレビを見ながら、ミケの心にまた「なんか違う」、という思いがよぎり始めていた。

ミケに妙な癖がついたのはその次の日からだった。手ごろな大きさの丸いものを見つけては、その上に身体を下ろし、その場所から離れようとしなくなったのだ。少女のおもちゃであったゴムボールやピンポン玉、大きめの消しゴムやたまごっちや……。それらを相手にしているうちはよかったが、コタツの上におかれたミカンに座り込んだときは、さすがに家族から非難の声が浴びせられた。

それでもミケはやめなかった。心に感じる違和感、それを一瞬でもいいから取り除く、そのために、ミケの日常生活に必要な儀式となっていたから。

そして数年が過ぎた……、少女は高校を卒業し、年老いたミケとともに一人暮らしを始めた。ミケには相変わらず、丸いものの上に寝そべる癖があった。彼女がミケのその行動の理由を知ったのは、ミケの身体の中のある欠損を、獣医に聞かされたときだった。

「ミケ、つらかったんだね」
彼女はミケを抱きしめ、涙を流した。

灯りを落とした暗い部屋。今ミケはベッドの上で、おもちゃの小さな卵を温めています。1、2、3……、4個の卵を。
そして私は机に向かい、ノートパソコンのキーを叩いています。ディスプレイに表示された文字は……。

 『猫が卵を温める(私とミケの物語)』

「ミケ、私があなたの分身を残してあげるよ!」
ミケは一瞬薄く目を開いて私を見ましたが、にゃあとかすかに鳴いて、また目を閉じました。今日はもう疲れてしまったようです。おやすみミケ……。

<おわり>


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