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09「MとRの物語」第一章 8節 抱擁

そろそろ「官能」の要素が入ってきます。
小説としてうまく成り立つのかは、やってみないとわからない。

(目次はこちら)


 人は悲しみを知ることで、優しくなれるというけれど、きっとそれだけじゃない。Mさんと言葉を交わすことの安心感、それが私を、優しくさせる気がした。心いっぱいに温かさを感じながら、私は椅子に座り、テーブルの上の本に手を置き、眼を閉じてみた。つるっとした紙のカバーのひんやりした感触が、きもちいい。私の心の中で、私に触れるMさんが喜んでいるのがわかった。本を手に取り、適当なページをめくり、目を開けてみる。書かれている文章を、少し読んでみる。執拗に、緻密に書きこまれる感じの文体、構造美。そんな印象を受けた。小さい頃から、本なんてほとんど読んだことのない私なのに、この小説のすごさだけはわかる。それは私の才能なのでしょうか、それとも、今、こうしてMさんに触れているから、Mさんの心が伝わるだけなのでしょうか。Mさん、どちらですか?

 心と心のふれあい、そんな体験は、これが初めてのはずなのに、その心地よさ、温かさが私の心に、流れ込んでくるのがよくわかる。強い快感、強い官能、それらを包み込むやわからなフレグランス。私は心の指をしならせ、そっとMをなでた。Mさんの心が、私の心を強く抱きしめた。Mさんは動揺しているみたいだ。大人が動揺なんて、おかしい。でもそういうものなのかな。私は震えるMさんの心がかわいくて、いとしくて、抱きしめ返そうとした、その時……。

「大丈夫? もしかして気分悪い?」

 はっとなって、私は目を開いた。母が私の額に手をあて、私を覗きこんでいた。私の顔はほてっていた。私は恥ずかしくなって顔をふせた。唇が熱く感じて、左手をそっと口にやった。右手は膝の上におかれ、文庫本を持っていた。

「ううん、大丈夫」

心臓が激しく打っていた。息苦しかった。でも気持ちよかった。意識を何かに集中しないと、目の焦点が合わなくなりそう。何かにつかまりたくて、本をテーブルにおいて、その手でテーブルの表面を、しっかりと押さえた。

 なにかの治療の副作用なのだろうか。違う気がする。原因は、たぶんMさんとのふれあい。人と人が、心で直接触れ合うと、こんなにも気持ちいいものなの? さっき味わった快感を思い出して、また意識が飛びそうになる。だめだ……、これはだめだ……。これはいけないものだ。

「もしかして、風邪ひいちゃったのかな。熱、測ってみようかな」

「そうねえ。待ってね。体温計は……、電池切れてないかしら」

電池は、切れてなかった。体温を測ると、ちょっと高め。月に1回くらいは、こういうことがあるようなないような。

「今日はお風呂はやめておいた方がいいわね。ご飯食べたら、寝た方がいいね」
「うん」

Mさんと話したいこともいっぱいあるけど、今日の夜は、母もいるし、まだ無理かもしれない。そう思っていたけれど、さっきのような快感が味わえるのなら、一晩中、はなしをしていても、とも思ったけど、きっとそれは、いけないことだ。そうだよね? Mさん。

テーブルに置いた腕で、身体をささえながらよろよろと立ちあがって、窓を開けた。ひんやりとした風が、気持ちよかった。

<つづく>

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