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10「MとRの物語」第一章 9節 幻の五巻

いつもありがとうございます。
官能的なシーンは少しだけ自重して、この小説のテーマを語ります。

(目次はこちら)

 食事をしてパジャマに着替えた私は、玄関の脇にある小部屋で、タオルケットにくるまった。常夜灯は、点けたままだ。いつも私は、この部屋で一人で寝ているんだけど、今日は特に、一人の時間がうれしい、変な意味ではなく。ただ、これから何が起こるにしても、明日の学校に備えて寝ておかないといけないから、起きていられるとしても、2時3時くらいまで。考えようによっては、こんなにわくわくさせられる時間なのに、普段通りのつまらない、「寝る」、という行為も、大切にしなくてはならない。子供のつらい所だ。そんなことより、今はMさんだ。

 Mさん?

オレンジ色に、ぼうっと浮かび上がる部屋を眺めながら、私は再び、Mさんを呼んだ。聞きたいことは色々あるの、早く出てきて。「出てきて」、というと、お化けか何かみたいだけど、たぶんMさんはお化けだから、これは正しい表現だ。ささ……、という衣擦れの音がして、部屋の中に、誰かの気配がした。あわてて起き上がると、Mさんが正座をしていた。軍服を着ていて、手には白い手袋をはめている。足元に、日本刀が置かれていた。精悍な顔つきで、頭も軍人のように、短く刈り込んでいる。でもその表情は、少しかなしげで、優しそうだった。ちらっちらっっと、私の方を見るMさんが、かわいい。

 こんばんは、今日はゆっくり話せる?

母はお風呂に入っていて、今なら声を出しても、聞かれることはないかもしれないけど、私は心の中で、呼びかけてみた。これで話ができるなら、その方がこれからも、色々安心できることがありそうだから。問いかけて、しばらく待っても、Mさんは何も言わない。反応はというと、私をちらちらと見るのをやめて、目を伏せて布団の端を、じっと見つめるようになったことくらい。Mさん、聴こえてないの? それともこれは、ただの私の夢か、幻覚なの? 私は不安になって、タオルケットからゆっくり手を動かし、Mさんの方に移動させた。その瞬間、Mさんは驚いて私の顔を見た。Mさんの思考が、私の中に音楽のように、軽い感じで流れ混む。

 やめろ、いや、別に嫌だからというわけではないが、
 今日の接触はこれ以上は……。
 それより、俺達の今後について話をしたいんだが。

 嫌じゃない……、の?
 だったらいいけど。
 気持ちいいのが私だけだったら、迷惑よね。

私は、指をくねくねしながら、それをタオルケットの中にしまった。さっきの快感に、興味はあるし、未練もあるけど、今はMさんに従うことにする。お化けと私の今後? でもそれよりも、やっぱりMさん自身に、私は興味があるんだけどなあ。お化けとの接触、とは思えないほどの、温かい感覚がよみがえって、私はうっとりとなった。お化けって、温かいものなの? 冷たいの?

 お化け……、か。まぁ、温かくもあるし、冷たくもある。禅問答のようだな。

Mさんは、困ったような顔で笑った。初めてみるMさんの笑顔、かもしれない。たぶんそうだ。私はうれしかった。怖い軍人のようだけど、お化けだけれど、こうやって、わかりあうことが出来る。ミミズだって、オケラだって、Mさんだって。みんなみんな、あ、Mさんは生きていないかもしれない。私はそこまで考えて、ぷっと噴出した。

 Mさんは、お化けなの?
 大昔に、自衛隊の駐屯地を襲って、
 そこで自殺した小説家の人が、いるらしいけど、
 あなたがその人?
 (もしあなたがその人なら、私の知らない、証拠が欲しい)

しまった、と思ったけど、もう遅い。口でしゃべるのと違って、心の中でしゃべるというのは、思考がだだもれ。隠し事なんて、できなさそう。

 証拠か……。
 あ、俺に隠し事なんてしないで欲しい。
 俺達はあの世では、記憶を共有しあうことになるから、
 隠し事なんて無意味だ。
 俺とお前は、互いにオナラの音も共有するようになる。
 記憶さえ共有されてしまえば、羞恥心も無意味だ。

 オ…、オナラ……?

 ああ、オナラだけじゃない、あんなことや、こんなこともね。
 (ただ、この世界で触れ合うことによる快感、それについて
  俺は知らなかった。神に記憶を消されたのかそれとも……)
 証拠、になるかどうかはわからないが、
 お前が今読もうとしている小説、「春の雪」。
 あの結末を教えようか。

 結末? ネタバレ?
 うん、ちょっともったいないけど、証拠になるなら、構わないよ。
 (どうせ黒犬のシーンまでは退屈だったし、
  最後まで読めないかも)

 おい、思考が漏れているぞ。
 まあ、俺の小説についての、正直な感想は、俺は大歓迎だ。

Mさんが笑った。まぶしい笑顔。

 じゃあ、ネタバレになってしまうが、
 あの小説の先について、話をする。 
 「春の雪」というのは、実は4冊で構成された、
 「豊穣の海」という小説の、第一巻で、
 それは「転生」を扱う物語だ。
 主人公は何度も死に、何度も生きる。
 そして脇役である本多君は、延々と生き続ける。
 最後に本多君は迷う。そして悟る。そんなお話だ。
 
 ふうん。
 ちょっと待ってね。メモしておくね。
 えーと……、4冊で構成されていて……。
 転生が出てくる、物語?

私は、近くにあった紙に、ペンでメモを始めた。
 
 そう、重要なのは「転生」。
 何度も死に、何度も生き返る。
 脇役は、本多君という名前だ。
 彼は老人になるまで生き続け、そして迷う。

 ふうん。わかった。
 本を読んでいって、この通りになれば、
 私はあなたが夢とか幻覚じゃないって、
 信じてもいいわけだね。

 うん、まあ、それはそうだ。
 ただ……。
 もしお前が、お前以外の人に、
 俺の存在を証明しないといけなくなると、
 それだけでは不十分だな。
 今言ったのは、俺の本を読めばわかることばかりだ。

 私は別に、それでもいいけど。充分だけどね。

 そうか、そうだな……。
 いや、実は俺は、なぜ俺がこうして転生したのか、
 ずっと考えていたんだ。
 俺には何か、やり残したことがあった気がするんだ。
 実を言うと、「豊穣の海」は、
 構想の段階では、全5冊になる予定だったんだ。
 俺はもしかしたら、それを書きたくて、
 それが心残りで、転生したのではないかとね。

 ふうん……。
 じゃあ、その5冊目を書けば、
 みんなあなたのことを、信じるのかな。

私はそう言って、Mさんの言葉を待ったけど、しばらくMさんは、何もいわなかった。気が付くと、Mさんは泣いていた。眉間にしわを寄せて、でも穏やかな表情で、天井の隅を見つめながら、大粒の涙を、ぽたぽたと手袋の上に落としていた。私はそんなMさんを抱きしめたくなったけど、今そうしちゃ駄目だという気がして、身を固くして、じっとしていた。Mさんの心の声がもれた。

(俺は豊穣の海・第五巻を書きたい。今はただ、それだけだ)

私にはMさんの気持ちが、わかる気がした。気付いたら、私も泣いていた。

<つづく>

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