02「MとRの物語」第一章1節「母と娘」
第一章 1節 「母と娘」
「ただいま。おかあさん、これ、一緒に食べよう」
私はアルバイト先のコンビニでもらってきた2つのヤキソバを、
テーブルの上に置いた。
「うん、ありがと」
母はノートに走り書きをしながら、そう言った。
他にもテーブルには、書類やらノートやらが、ちらかっている。
仕事を持ち帰るのはやめて、と以前は言ったこともあったが、
そうしないとどうしようもないのだということがわかり、
最近では何も言わないようにしている。
そうだ。人生というのは、テレビのニュースとは違う。
嫌な仕事だって、やらないといけないし、
残業だって、やらないといけない。
残業ができないなら、持ち帰ってでもやりきらないといけない。
それが仕事だ。それが人生だ。と、最近私にもわかってきた。
私ももう、高校卒業間近なのだ。あと1年の辛抱なのだ。
奥の部屋で、制服をジャージに着替え、テーブルに戻って椅子に座り、
「ヤキソバヤキソバ」、と言ってパックを開け、割りばしを割った。
あざやかな紅ショウガが食欲をそそる。
私は紅ショウガが大好きだった。そこだけは、母とは似てなかった。
いや、それだけではない、母は頑張り屋、私はそうじゃない。
母は頭がいいけど、私はそうじゃない。いろいろ違いはあったっけ。
そうだった。母は小説が大好き。
私は小説が嫌い。
私はテーブルの隅にそっと置かれた、白い文庫本を手にとった。
美しい表紙が目をひく。金色で書かれたタイトルは、「春の雪」。
ぺらぺら、とめくって、そっと元に戻した。むずかしそう、わからない、
やっぱり小説は嫌いだ。
「その本ね……」
「うん……」
母が私に、本の話をするのなんてめずらしいことだ。
「あなたのお父さんがね、あなたくらいの頃に読んで、感動したらしいの。
私も読みたいって言ったら、お前には無理だって言われて……。
ずっとお父さんの、棚にあったものなの。
もう読んでもいいかなって思って読み始めてね。
あっという間に、一巻読んじゃった」
「ふうん……、お母さんでも難しいって、よっぽどだね」
「それが、そんなことちっともなくてね。楽しかった。
特にね、若い男の子と女の子二人が、馬車にのって、
雪の中をデートするシーン。もうほんとに綺麗で、
うっとりしちゃった」
母の声が震えたような気がして、私は母の顔を見た。
母は顔をあげて、どこか遠くを見つめているような目をしていた。
その目はちょっとうるっとしていた。いけないものを見たような
気がして、私は顔を伏せ、ヤキソバをちゅるちゅると吸った。
亡くなったお父さんが好きだった小説。
お母さんも、うっとりした小説。
私も、好きになれるだろうか。
母がヤキソバを手に取った。
「ちょっと休憩。ヤキソバありがとね」
「うん」
「その本、あなたも読んでみる? 時間はかかると思うけど、お母さんもサポートするよ」
そうか……。母がこの小説の話をしたのは、私にこの本を薦めたかったんだ。
お父さんが好きだった小説……、どんなのだろう。
これを読めば、お父さんの気持ち、少しでもわかるかな。
「うん。読んでみるね」
ヤキソバを食べ終わった私はそう言って、白い文庫本を手に取った。
母が立ちあがり、麦茶を入れてくれた。
私は小説と格闘しながら、麦茶を飲んだ。ぐび、というすごい音がした。