伊藤亜紗論①
アカデミー賞レースがデッドヒートしてきました。
マリッジ・ストーリー、フォードVSフェラーリ、ジョジョ・ラビット、さらにはパラサイト。今回は一体何をもってオスカーに選ばれるのか予測がつきません。ぜひアカデミー会員の皆様には多様性の時代を考慮にも入れて「パラサイト/半地下の家族」にオスカー(作品賞)を取らせていただけると嬉しいです。
さて、2019年のワダデミー賞(本部門)を受賞した伊藤亜紗さんの「記憶する体」。この本に出会えただけでも、2019年本を多く読んだ甲斐はあったなと思っています。
何より、出会いの数の大切さを感じました。映画にしても、本にしても。これを人に置き換えても同じことが言えるようになったらいいなと思っております。最近は色んな所に顔を出しているので、必然的に多くの人に会うようになっているとは思いますが。
伊藤亜紗さん。
この人はいったい何をやっている人なのか、研究者のようではあるけれど、いったい何の学問なのか。わからないまま、「どもる体」を読み、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」を読んでようやくわかりました。
“美学”
これも一つの学問の名前だそうです。
伊藤さん曰く、「美学とは、芸術や感性的な認識について哲学的に探究する学問です。」
言葉にしにくいもの、わかっていはいるんだけど言葉にできないもの。を言葉にしていく学問。伊藤さんにとっては、「体について(言葉で分析したものを)体で理解する」学問。その中でも、身体論として一般化されたものではなく、一般化・普遍化された身体論に隠された、個々の特徴的な体に目を向けている。それが、伊藤さんだと言えるのではないでしょうか。特徴的な体として、伊藤さんが目を付けたのが所謂、障害をもった人々です。
所謂、とつけたのは伊藤さんの本を読んでいると、障害者と呼ばれている人々を他人事として認識することができなくなるからです。
システマをやっていると特に、身体の癖、動きの癖、呼吸の癖など特徴に目を向けることが多くなります。もともと僕は身体論が好き、というのもあるのですが、癖やケガ、身体的特徴などに目を向けていると、障害と呼んでいるのも一つの個性・特徴であるという認識に変わってくるのです。なので、どちらかというと、障害があるのは人ではなく、社会なのではないかと考えざるを得なくなる場面も数多くあります。そういえばそういった映画も多くアカデミー賞にノミネートしていましたね。
“美学”
今から僕が大学に入って勉強するのであれば、間違いなく選ぶ学問です。というか、僕はこの学問を習うことを、心のどこかでずっと探していたような気もします。
システマは思いっきり”美学”と重なるのではないでしょうか。「体について、体で理解する」「言葉にしにくい」。もともと、こういったものを学びたいと思ってきていたので、そこに出会ったのは必然だったのかもしれません。
「記憶する体」に始まり、「どもる体」、「目の見えない人は世界をどう見ているのか」。まだ3冊しか読んでいませんが、自分の体験も含め、少しずつ本の紹介をしていきたいなと思っております。
少しの間、お付き合いいただければ幸いです。
続きます。