小言のこごと、その2
あなたにとってそれが15.8センチ規模ならば、私にとっては13.8センチ規模の可能性なのかも、とぼんやり思う。
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GENERATIONS from EXILE TRIBEの小森隼さんがTOKYO HEADLINEで連載中のコラム、「小森の小言」。
https://www.tokyoheadline.com/506648/
第54弾目の彼の小言は「携帯」についてでした。
なんだかこう、たったひとつのテーマに対してちいちゃな話をちりばめる様に広げられるのって、彼の良いところなんだろうなといつも思う。言葉の辞書の頁数も、エピソードの引き出しもうんと豊かだ。
iPhoneの宣伝文句で聴き慣れたフレーズを用いる茶目っ気も、生活に常にあるものだからこそ私達の趣味嗜好を知り尽くしたある意味の「理解者」である事も、そして思わぬところで誰かを傷つけてしまうかもしれないリスクへの密やかな配慮だったり。そういうの良いな、と読み進めながらぼうっと考えた。あなたは大人だけど猫の様な文章を書くひとで、私はそんなところが凄く好きだ。
そしてやっぱり同じテーマでも彼と私の思うことには相違があって面白い。
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そもそも私が初めて「携帯電話」というものを与えられたのは高校に入学した頃。まだパカパカと開く、所謂ガラケーというものだった。
その頃の私には「携帯電話を持っていると大人」なんていう漠然とした憧れがあって、自分のものと呼べる、真っ白でつやつやとした機器にポイントで水色が入ったうつくしいそれを買い与えられた時、堪らなく嬉しかった記憶がある。自分がひとつ階段を上がった様な、そういう感覚。
偶々見つけた当時の"ガラケー"で撮った写真、こういう自分がうつくしいと思った瞬間を残せる事も嬉しかった。
メールアドレスを決めて、好きな曲を着信音にしてみたり。そういう生まれて初めての事にいちいち感動したけれど、今ほど生活に密接していた訳じゃない。
そういえば高校2年生の頃、校則で校内持ち込み禁止なのに英語の授業中にしゃららと着信音が流れて、当時よく可愛がって貰った先生に笑いながら1ヶ月間没収されたエピソードを今ふと思い出した。我ながら本当相変わらず馬鹿だな、としみじみ思う。あの頃は然程困りやしなかったけれど、今1ヶ月間携帯が無い生活を強いられたらきっと私は頭を抱えてしまうだろうな。それ程に生活に浸透してしまった事実に、新鮮に驚く。
ガラケーとの時間はほんの2年程度のお付き合い、高校3年生から今に至るまではずっとスマートフォン。その過ごした時間の長さの分、やっぱり私は救われているのだ。ちなみに私は拘りは特に無くて、iPhone7を使っているから、彼よりも少し小さな13.5センチ規模なのだ。
「手のひらの四角形、見つめてるだけでは不安は消えないままで」
元々彼が大好きで、影響を受けて私も大好きになったアーティストさんのとある楽曲にこんなフレーズがある。
確かに「携帯」と呼ばれるそれの世界には膨大な量の情報があって、そこには素敵なものもあれば、明らかなる悪意で塗り固められたものだって山の様にある。誰かの体温に直接触れることが出来ない分、自分自身で取捨選択しない限り不安の霧はずっと掛ったままだ。
それでも私はこの掌よりもほんの少し小さな長方形にどうしようもなく可能性を貰ってきたし、救いを見出したいと思ってる。だって私にとっての「それ」は、あなたを知り、あなたに伝える為の絶対的な手段のひとつなんだもの。
4年前の春、「小森隼くん」という名前も、顔もどんなキャラクターかも全く知らなかったひとを突然転げ落ちる様に好きになった日の帰り道、慌てて知る為に逸る気持ちのまま握ったのは携帯だった。
好きになってから、ライブに行く為にはじめてチケットを買ったのも携帯。遠くへ向かう時に生まれてはじめて飛行機やホテルを手配したのも、隼くんを好きになった事をきっかけに沢山の素敵な人達に出会えたのも携帯を通してのこと。
彼がダンスカップのMCを務める姿を画面越しに見守った日もあった。ラジオ番組のパーソナリティを務めると決まった事、緊張いっぱいの初めての生放送の日。自分が歩む道を受け入れられない誰かへ宛てた誠実な言葉を綴ってくれた日もあった。
彼の下に届いた私の気持ちをメンバーのSNSで知ったこと。
実習と国家試験で辛い時、何度それから流れるあなたの声に救われたことか。木曜日のお昼に更新されるコラムが、昔も、今も、楽しみで仕方ない。
生まれてはじめて俳優さんとして映った銀幕、舞台挨拶の日の夜、緊張いっぱいだったあなたの表情の写真を見返していとおしい気持ちが溢れたこと。
涙声のさよならの日と、勇気を持って踏み出した今年の春の夜。毎夜ラジオの向こうのきみの心に、笑って泣いて悩んで、そうして誠実に向き合っていること。
GENERATIONSとして今出来る事を、と誠実に、真っ直ぐに7人でパフォーマンスを届けてくれた夜。
そういう全てを受け取ったのは、他の何でなくこの携帯を介してなのだ。やっぱりどうしたって、私は救われてる。
現にこうして言葉を残しているのも携帯で、勝手に伝えたい気持ちをメールやSNSで形にしてきた大切な"可能性"の手段でもある。連絡手段の為だけではなく、ただ私が好きに素直に生きる為に「なくてはならないもの」のひとつとして存在しているのだ。
ああ、有難う携帯!
なんだかそう伝えたくなっちゃうほどに。
勿論、この携帯の向こうの情報の海は決して私たちの心に優しいものばかりではなくて、時に言葉が刃に変わりゆく事だってある。特に書き言葉で伝える事が主流だからこそ、受け取り方は尚更三者三様に変わりゆく。意図と角度がぐるりと変わった届き方だってしてしまう。
私自身、本当の事を言うと匿名でメッセージを募集している「マシュマロ」を開く度、無意識にいつも傷付く前提で心の準備をしてしまうもの。誰だってそうだ、傷付くのは怖い。
だからこそ、憧れの言葉の魔法使いさんが言っていた良くも悪くも「言葉は永遠」だという事を、この長方形の前では尚のこと忘れずに居たい。よい言葉も、悪い言葉も、何も変わらずひとの心で永遠に生き続けるのだ。
私は今までどれだけの人を傷付けてきたんだろう。
分からないけれど、覚えもない程簡単に凶器になりゆくものだからこそ、私は言葉を用いて伝えるそれを大切なひとの為に使いたいし、願わくばそれが微かであっても光になれれば良いと思う。
私が好きに素直に生きる為の魔法のアイテムこと「携帯」、用法容量を守りつつ、どうぞ末永く宜しく。
そしてどうか、これからも私の大好きを教えて。
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