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パイレーツの思い出

はじまりはパイレーツだった

中学で出会って一瞬でハまった麻雀だが、当時はまープロには全く興味がなかった。魅せる麻雀・小島武夫や亜空間殺法の安藤満、牌流定石の金子正輝、大魔人・飯田正人など、有名どころはもちろん知っていた。月刊プロマージャンも買っていた。
だが、われら昭和世代は何より、ちょうど学生時代に「近代麻雀ゴールド」を読み、雀鬼流に影響を受けた打ち手が少なくないのではないか。
佐々木秀樹や山田英樹がプロ相手に真っ向から攻め勝った、第三期・四期麻雀最強戦こそを痛快に思っていた時代があり、世代が存在するのではないか。麻雀プロなにするものぞ。
わたしもプロになることより雀鬼会に入ろうかと真剣に考え、高田馬場のポリエステル100%よりも下北沢の牌の音に足を運ぶことを選んだ1人なのだった。

時は流れて2000年代。
わたしにとっての麻雀は天鳳を意味するようになっていた。学生時代には毎週のように集まっていたセットの面子も、それぞれが社会に出たり家庭を持てば、おのずと集まりが悪くなる。あるあるなのだが、それでも年に一回、師走のM1の前後に企画していた麻雀大会すらも、やがては自然消滅してしまっていた。

ネット麻雀はすごく便利だ。面子集めが必要ない。牌譜も残る。自分のID育成ゲームの要素もある。ノーレートの麻雀でこんなにワクワクできるとは。世紀の発明だろう。
麻雀プロの戦術本には目もくれず、科学する麻雀や現麻、福地本等で勉強した。何より独歩やメカゼットンの配信、戦術ブログの方がためになると確信していた。

ある年、確変で九段タッチし、發王戦の天鳳代表として東京に乗り込んだその前後。久々のリアル麻雀でプロに囲まれ、独特の複雑な条件戦の前に敗れてしまった頃。この時期わたしは、われポンやモンドではなく、天鳳名人戦におけるプロアマ混合の闘いに熱中し、興奮していた。
雀鬼流の昔から、アマがプロを倒す痛快劇に喝采するタイプだったのかもしれない。
最強位を獲っていた鈴木たろうの名前は知っていたが、おおいたかはるのことすら知らなかった。

ASAPINは、もちろん我らのHEROだった。
うちの『超精緻麻雀』はサイン本だし、京都は四条通りで彼とすれ違って興奮した思い出もある。何より初代の天鳳位はあまりに偉大だ。わたしが天鳳に参戦したのはその少し後だが、当時のフィーバーは凄かったと伝え聞く。
ところが、天鳳名人戦の舞台で強かったのは、小林剛と石橋伸洋だった。共に麻雀プロである。初代の天才も2代目の天才も敵わなかった。今は亡き大阪の雀荘ラストファイトで、のちにゲストとして参加する2人に会いに行くことになるなど、この時は想像だにしなかった。

Mリーグというものがはじまり、U-NEXTパイレーツというチームが天鳳関係のメンバーで参戦していることを知ったのは、2019年シーズン途中のことだ。小林・朝倉・石橋に加え、みかん太こと瑞原明奈が加入していて、その美貌にも興奮した。対戦経験もあったと思う。
推しという感覚もないまま、知らずパイレーツに肩入れしていた。

そして、伝説的なファイナル。
優勝決定局は、オフショットと併せ、何度も見た。未だに見る。見るたびに控室の三人の一喜一憂に胸がつまる。コバゴー決死のオリ。ライバルの魚谷さんも素晴らしい闘いで緊張感と局面の重要性を視聴者に伝える。さすがは女優。

バッシーの「良かったな」という笑顔が忘れられない。そう言って肩を叩かれるや、ピンちゃんの嗚咽が漏れ出る。
バッシーは2年後、Mリーグ自身最後の対局インタビューで嗚咽を漏らすことになる。

時よ止まれ

いま現在は、Mリーグを箱推しし、ほぼすべての試合をリアルタイムで観戦し、関連コンテンツも多く消費し、Mリーグで学んだことを天鳳でアウトプットする毎日だ。
Mリーグ中心に生活を構築し、オフはMロスに苛まれ、だから来期は、ますますこの素晴らしい闘いに熱狂することだろう。その起点には、初代天鳳位と第3期天鳳名人位がいる。
わたしにとってのMリーグの象徴は、間違いなくパイレーツだ。新生パイレーツへの期待は未だいいだろう。もう少し、このままで。
旧と新のあわいのこの時間に、
わたしは何度目かも分からないあの対局を目の当たりにする。
控室から移動する3人。
笑顔のバッシー。
ASAPINの涙。
アッキーナの泣き笑いの表情。
奇跡の逆転優勝。
シャーレの前で。
危なかった、と船長はこぼす。そのハニカミは照れ隠しのようでもある。
シャーレの前で。
4人はひとつになる。
歓喜の輪。涙の輪。
繰り返す。繰り返す。何度でも。
永遠に終わらないループのように。
思い出を閉じ込めておくように。
円環が閉じて、時を封じ込めて。

時よ止まれ
パイレーツ、君たちは美しい。

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