ユーゴ紛争はなぜ長期化したか―悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任 単行本 – 1999/4/1千田善

ユーゴ紛争はなぜ長期化したか―悲劇を大きくさせた欧米諸国の責任 単行本 – 1999/4/1
千田善

「ウクライナ紛争で値上がりした皮肉」

今日は大阪公大整形サッカーを日整会前にてお休みすることにした。
すると、日経新聞には宮本恒靖がガンバ時代のクロアチア選手の話を書いていた。
サッカーは皮肉なことに真面目に勉強するほどに平和教育と言うか戦争について学ぶことになる。

90分ほどで読み終えた。
頭が痛くなるので、細かい固有名詞は飛ばして、何が起きたか、どういう策謀やサボタージュがあったか、背景事情に大国の内政が絡んだかを重点的に見た。
それがいいかどうかは別にして、そういう色眼鏡のアプローチだと多少入って行きやすい。
最近勉強した、マルクス経済学とマルクス主義経済学の違い。
これは、本書でもよくあてはまる。
佐藤優の親友のカザコフ著プーチンの大戦略も似ている。
絡み合ったイデオロギーあるいはイデオロギー集団の4次元、あるいはそれ以上の動きを見ながら考え、時に介入していく大国。
11の小集団の分割と統合を見る。
訴える正義は、国内外の政治だけではなく、本国や仲間の国の企業の事情にも相関する。
そして、その為に、敢えての無策や無策を押し通すのが得意なキャストの起用がある。
それは本当にサッカーでも似ていて、ゴール前でスルーや空振りをするのは何も敵とは限らない。
その中で、誰がどのような行為や言動を行うか?
そして、その結果、誰がどのような利害を得るか?

なにせ、誰かがどこかの本で指摘したように、国内の経済政策がどうだったかよりも、その時期に国外で戦争があったか否かの方が株価や経済指標を押し上げるリアルである。
それは何も良いことばかりではない。
人道を抜きにしても、福祉や教育、犯罪防止のコストも別の所で積みあがる。

昨日、#手嶋龍一 #葡萄酒かさもなくば銃弾を  を読み終えたが、先ほどこの本を読み終えて読後感は変わらない。
それは何故かと言えば、手嶋龍一が米英と言う世界支配体制のど真ん中の専門だからだと思う。
これに対し、著者が旧ユーゴスラビアの専門で、佐藤優はロシアの専門。
上位権力の描く大きな波の中で、小さな波の専門家は時にその性格なベクトルを巨大なスカラーでねじ伏せられる。
一方で、同じ時代の本を読んだからわかる。
だからユーゴスラビアで、同じ政権の大国のメインキャストは無理筋でも国内政治やタニマチを納得させる剛腕に出たのだと。
逆に、一見小さく見えて大きな利害やコネクションが動かす歴史もある。
それが面白い。

同じような時期に制作された、銀河英雄伝説本伝の査問会のネグロポンティの発言を禁じるという声が聞こえてきそうだ。
本当の意味での話し合いは利害、理解力などある程度を共有しないと成立しない。
ドイツとフランスとアメリカと各勢力を中心にした違和感たっぷりの流れもあちこちに散見される。
そして、当然のように、第二次世界大戦とも繋がっている。
冒頭にはハンガリーの話があり、イタリアのバチカン、それから、スロベニア、クロアチアのカトリックの話も出てくる。
そうなれば、1998ワールドカップでクロアチアと激突し、それからもちょっとおかしな頻度で何度も戦っているのは偶然ではないのだろう。
ポッド訳も含めて八百長が良いとは思わないが、興業の政治経済的意義は大事だ。
カトリックの意向だろうか?

1999年4月30日の出版。
24年近く前のこの日、僕は大学1年生だった。
そして、12年前、大学病院の退職には同じように策謀があった。
会話の成立しない相手。
真実の話の流れではなく事実や利害の切り取り。
これは人間社会の皮肉だと思う。

オシム監督はわからせる、あるいは、わからないでも正しく実行させる天才だったと思う。
しかし、それは、サッカーだからあるていどやれる話で、それぞれの利害と信念をつかんで離さない人間たちの中で、まともな仲裁など不可能に等しい。
もっと、逆に言えば、そういう論理構成の要素や理論を外していけば、失敗を確実演出できるものである。
ちょうど、ユヴァルノアハラリが言ったようになっている。
(白人同士の)戦争、飢餓、感染症を克服しつつある世界。
その要素を壊すかのように世界は動いている。
それが金と政治であり、世界の覇権争い。

2022年2月24日からのウクライナ紛争の影響か、この本も値上がりしている。
それが前向きに活用されるか、後ろ向きに活用されるのか、どちらなのだろうか?
もう、仕事もしないから、戦争もしない方が良いという人間の方が総合的に生産的ともいえる時代にはなってきていると思うが、それを許さない社会構造に追い込まれて行っている。
支配の構造の問題だろう。
あいも変わらず、年収以上の砲弾を扱わされてあの世に送られる平民。

神の仕業か悪魔の仕業かわからないが、大小の血管から全ての臓器をターゲットとして、人間の思考と記憶あるいは計算できる余命を奪う新型コロナもまさにそうで、人々はますます争わされようとしている。
もしも神々がいるなら、その目から見てどれが死んでも一緒だから、現世では運と力のない順に消されていくのかもしれない。
2023年3月12日21時14分

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