「死んだ魚の目して満員電車で通勤して楽しくない仕事で時間を溶かしたりなんかするから、離婚もするしセックスレスになるんだよ。」ってあの人が言ってた。友人と自分の対比なんだろうな、首がもげるほど頷いた。
政治家なんて税金で飲み食いしてるオジばかりと思っていた。どうせ日本は変わりやしないから、海外逃亡してやろうと結構本気で思っていた。 でも今回、志を持って必死に、社会を国を変えようとしている政治家がいて、下馬評をひっくり返すのも見て、まだ日本も捨てたもんじゃないかもと思えた。
翳り 彼が帰国してから、一緒に過ごす楽しい日常は戻ってきた。一つ変わったのは、それぞれが将来を考える時期へと移っていったということ。 彼は世界の広さを知って、「会社員にはならず、フリーでやっていく」と言っていた。そもそも何をどのようにやるんだ?と思いながら、でもビジネススクールに通って仲間を作って、事業を作っては潰したり試行錯誤している彼を見て、憧れと応援の気持ちを私は向けていた。 一方私は、「やっぱり人や社会のために働きたいな」と思って、スタートアップやNPOでインター
ひょんなことがきっかけで、6年付き合って別れた人と、1年ぶりに会う予定になった。偶然かもしれないけれど、7年前に私たちが付き合った日に。彼はそんなこと覚えてもいないだろうけど。 サシで会うので、どんな顔をして会えばいいのか分からない。 彼は1年で変わったのだろうか、私は変われたのだろうか。 出会い 出会いは大学のサークルだった。彼は3年、私は1年だった。 メンバーは3学年で100人以上いる大きなサークルで、当時彼は代表を務めていた。 見た目は大してカッコ良くはないのだけ
いつも恋愛の云々ばかりを徒然なるままに書き綴っているので、今日はそれ以外のアレコレを。 一度悲しい気持ちになると、悲しい出来事ばかりを無意識に拾い集めてしまう気がする。 仕事が忙しくて余裕をなくして、管理職のくせにミスを連発していること 部下が後輩に仕事を押し付けて早く帰ろうとしていること このあたりは今日は雨だったのだけど、金木犀の花が散ってしまってもう香りがしないこと こんな疲れた日に、無条件に抱きしめてくれる人が身近にいないこと お腹が空いているのに帰っても
メモ 結婚するなら ・同じくらいかそれ以上の言語化能力を持っていて、建設的な話し合いができる人 ・婚約指輪も結婚指輪もいらないし結婚式もしなくて良いから、その代わりに一緒に世界一周してくれる人 がいいです。 実現しなくても良いからこの感覚を分かってくれる人が良い。
人と深い仲になると、 距離を詰めすぎて、視界が遮られて何もかもぼやけてしまうことがしょっちゅうある。 ちょうど、 左目を瞑って、人差し指の腹側をこちらに向けて右目にどんどん近づけていくと、指以外の世界は愚か、指紋すらも見えなくなってしまうような、 そんな感覚。 世界のことを正確に捉えられないし、相手自体も正確に捉えることができなくなる。 共感力の高さが故に、色々な人の色で染まってしまったような感覚。 わたしは生まれてからずっとそんな感じで生きていたように思う。 高校
ずるいなぁ 私は実家に帰った時に買った東北土産、持って行ったら重いかな、引かれるかなとか思って冷蔵庫に置いたままにして会いに行ったのに あなたは大阪出張のエピソードを、 聞いているこちらが涙を流しながら笑っちゃうくらい面白おかしく話してくれたあとに 「はいこれ、お酒のつまみに」って 2つ美味しそうなお土産をくれた 「小さなカバンで来てるのに、荷物増やしちゃってごめんね」 って笑って、ね 私も、お酒のつまみになるようなお土産、 あなたに買ってたんだよ実は 別々の電車
今この瞬間がめいっぱい楽しければそれで十分、他は何も望まない!と思っていたのに、 次はいつ会えるんだろうとか、 次に会うときは何を着ようか、とか 手土産を持って行こうか、とか あなたとの未来のことを考えている。 どうしたら良いんだろう。 相手のことを大切に思えば思うほど、 失いたくない気持ちが大きくなって、 大切じゃないフリをして雑に扱ってみたり、 いっそのこと自分からこの関係を壊してしまおうかと思ったりする。 きっと、失うのが怖いんだ。 保身をしているだけなのだろう
「写真を撮ったらその瞬間のことは忘れてしまう」 というのは結構当たっていると思っていて、 実際一緒に行った旅行先で写真に収めた風景や君の顔なんてあんまり覚えていない。 ごめんうそ、くしゃっと笑う顔はちゃんと覚えている。 でもだから私は、あまり写真は撮らない。 どこにいっても、「あぁこの瞬間を忘れないようにしよう」って、五感で噛み締めるようにしている。 同世代の女子からはだいぶ浮く。 覚えていることといえば、 旅行先で喧嘩して別行動したときの歩いた道の風景とか、 家
巷では「強い女論」が流行っているようで、XやInstagramでよく目にするようになった。 その影響を受けてか(SNSのアルゴリズムに見事に洗脳されてか)、強い女にならなければいけないと思ってここ最近生きていた。 長く付き合った恋人と別れて1人になって、その人に依存してしまっていた節があったことを反省して、 「自立しなきゃ」 「1人でも生きれるくらい強くならなきゃ」 思っていた。 でもいつの間にか、仲の良い人や家族といるときでも強い自分でいようとして、鎧をずっと着たままで
最近仲の良い男友達の家に、遊びに行った。 今日はちょっと風情を持たせたい気分なので、「セフレ」とは敢えて表現しないこととする。 重要なのはそこではなくて、今日は豊かな生活の要素について考察したい。 その友達の家での生活は、私にとってはとても豊かであった。 鉄筋コンクリートアパートの4階。 畳の部屋の奥には壁いっぱいに窓が広がる。 窓の外、眼前には木々と街並みと空。 1.5m×6mくらいある広いベランダには、椅子とデスクが置いてある。 小物が散らかったローテーブル。 使用
素敵だなと思っている人と 仕事終わりに超キマるサウナで整って、 新鮮なマグロとビールを胃袋に流し込んで、 ホテルで一旦濃厚セックスをして、 ジャグジーに2人酒飲みながら入って、 寝て朝起きてまたセックスして、 眠い目を擦りながら大学の講義を受ける。 なんて贅を尽くした一日だったんだろう。 仕事も勉強もして、快という快を全部感じて。 一日を終えた今の、この眠気からすら幸せを感じられる。 私の人生史に残る、めちゃくちゃいい日だった。 一瞬一瞬を没頭して味わって、たぶん相手も
セフレだった彼 出会って、好きになって、振られてセフレになって、自然消滅した彼に、彼女ができていた。 インスタのストーリーはミュートにしていたのに、たまたま思い出して見に行ったら彼女さんの写真をストーリーにあげていた。 「俺、彼女のことはインスタにたくさん上げたい派なんだよね。」 っていつか言ってたよね。 私のことは載せずに、私と行った場所や、私が撮ったあなたの写真を自分のインスタによく上げていたね。 まあセフレだったから当たり前か。 素直に、おめでとう、と思う。
退屈と気晴らしが絡み合った生を生きることは、人間らしい生き方である。 という言葉に、とても救われた。 最近、やることで溢れていて充実しているはずなのに、何となく「退屈だな」「現状をどうにかしたいな」と思うことが頻繫にあった。 これまで、学生時代、社会人生活を送るなかで、わたしは"退屈の第一形式(=第三形式)"に多くの時間を割いてきたように思う。 勉強・部活・労働・学校や職場での人間関係・パートナーとの時間・・・ 自分で"決断"して行動して、もはや”奴隷”のようにこれ
・結婚相手は、過去の経験と、そこからの未来予測を加味した上で「これ以上の人はいない」と思える人 ・今まで出会ってきた人の中で、自分が譲れない分野で1位であれば良い 他の分野でも1位を総なめできる人なんていない ・欠点は長所になる、そこを好きになってくれる人は絶対に現れる (私はいい人すぎると言われた、そこが心配、と。) 私たちは選ぶ側であると同時に選ばれる側でもあって、お互いが同じ思いになれるのは結構難しいんじゃないかな、正直なところ。 そんな人に出会えるなんて、もは