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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その10 胆振地方の話題1:胆振縦貫鉄道のD51形
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・
今回は胆振縦貫鉄道のD51です。
2.胆振縦貫鉄道
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胆振縦貫鉄道は1940(昭和15)年12月、伊達紋別~徳舜瞥(→新大滝)間、翌年10月12日、徳舜瞥~西喜茂別(→喜茂別)間が開業、国鉄京極線(倶知安~脇方間)・1941年8月、胆振縦貫鉄道に合併された旧胆振鉄道(京極~喜茂別間)とあわせ、伊達紋別~倶知安間が全通しました。
1944年7月、戦時買収で国有化され、伊達紋別~倶知安間83.0km、および京極~脇方間7.1kmが胆振線となっています。
胆振縦貫鉄道には沿線鉱山の鉄鉱石輸送のため、私鉄唯一のD51形を自社発注、D5101~05の5輛がありました。
客車は明治時代の2軸客車だったので、当時最新型のD51形が、鉄鉱石を積んだ無蓋車と客車の混合列車を牽引したら、なんともアンバランスだったでしょう。
国有化により、900番台末尾に編入され、D51 950~954となりました。
戦争も終わり、鉄鉱石輸送も一段落したため、胆振線程度の輸送量にはD51形はもったいないと思われたのか、5輛とも1949年には名寄へ転出しています。
3.豊浦のD5104
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豊浦町中央公民館には、胆振縦貫鉄道D5104だった、D51 953があります。北海道蒸機末期仕様の密閉キャブ、切り詰めデフ、それにギースルエジェクター装備のため偏平煙突となっています。
国鉄オリジナル機と見分けがつきませんが、以前はロッドにD5104の刻印がはっきり見えました。今は、塗装が分厚くなったためか見づらくなっています。
一時、状態が悪くなったため、解体される危機にありましたが、有志の協力により維持されることになりました。写真のように、以前よりかなりきれいになっています。
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1979年8月撮影
4.富良野のD5105
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富良野市役所横には、D5105だった、D51 954が保存されています。
このD51 954も北海道蒸機末期仕様ですが、ギースル装備ではありません。
機関車の状態はよく、動輪輪心にあるD5105の刻印もはっきりわかります。
まわりにはよけいな柵などもないので、公式側(機関車左側)はきれいな写真が撮れます。非公式側(機関車右側)は、かなり狭いので、こちら側の全景写真が撮れないのが残念です。
長年ていねいに維持管理されていましたが、2023年には、市民も参加して16年ぶりの全面塗装がなされました。
一段ときれいになった姿を見るのが楽しみです。
今回はこのへんで。おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は1929(昭和4)年から41年まで、虻田(→洞爺)駅から洞爺湖まで走っていた、洞爺湖電気鉄道です。
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