北海道の廃線跡探訪 第8回 天北線(8/10)曲淵~樺岡間
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。北海道の廃線跡探訪 天北線の第8回です。
今回は曲淵から沼川を経て樺岡へ向かいます。
沼川の手前までは道道に沿って路盤が見えるので、曲淵までとうってかわって楽勝です。
しかし、沼川から先は、並行する声問川の堤防から築堤は見えるのに、容易には近づけませんでした。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.曲淵~沼川
路盤は道道の旧道が、路盤を転用した新道と合流する先で道路北側に現れ、沼川の手前まで並行する。
沼川までは、3個所ほどIビームやコンクリートの小さい橋が残り、道道から見える。
道道がクランク状になっていた踏切は、ゆるいカーブにされている。ここから路盤は南側へ移る。
3.沼川
沼川は集落から一段下がった川の近くにあった。辺りには民家は少ないが、農協や倉庫が建ち並んでいる。
旧駅前の民家の窓には、駅に提げられる鉄道気象告知板が飾られていた。
駅跡には、天北線沼川駅の解説板と模造駅名標、丸太のベンチ、それに1本の枝ぶりのよい木が植えられている。
よく手入れされた、こぢんまりとした佇まいは、なにやら墓を連想させなくもないが、暗い雰囲気は微塵もない。
2019(令和元)年5月再訪時には、以前あった柵はなくなり、沼川駅を示す新しい解説板が加わっていた。
ここから一段下がったところが路盤となり、曲淵方には下頓別などと同じような、レールで組んだ貨物ホームの擁壁があった。
4.沼川~樺岡 その1
天北線は沼川を出ると道路から離れ、樺岡の手前まで声問川に沿っている。
航空写真ではガーダー橋が残っているのがわかるので、道道からタツニウシナイ川の堤防に入ってみた。
途中にあるはずだった、タツニウシナイ川に架かる龍補川橋梁は、堤防が改修されたのか、痕跡はなかった。
声問川との合流地点から、今度は声問川の堤防を南下すると、少し離れたところに並行して低い築堤が見えるが、堤防と築堤の間は湿地となっているため入れず、近づくすべがない。
引き返して沼川方の踏切跡から見ると、ヤブになった路盤はとても通れそうもなかった。
2019(令和元)年5月末に行ってみたが、またしてもヤブに阻まれた。
こうなると雪解け直後しかなく、翌年できるだけ早い時期に再々訪したところ、やはり同じような状態だった。
しかし、ここで断念すると、積雪期しかないので、行けるところまで行こうと、なかばヤケ気味にヤブに突入。
低い築堤上にはササが密生し、歩くのも容易ではないが、頭が出ないほどではないので見通しはよい。
築堤の下にはササがなく、少しは歩きやすそうだが、水芭蕉の群落の間からチラチラと水面が見える。やはり堤防から観察したとおり湿地なので、降りられない。
すぐコンクリートの小さな橋が連続していた。
最初の小さいガーダー橋(第1幕別川避溢橋梁)の手前には、122kmの距離標が横たわっていた。
鉄橋には枕木もなかったが、短いうえ、さらに下までの高さもない(「避溢橋」の名が示すとおり、川はない)。
おまけにガーダーの間を突き抜け木が生えていたので、それを頼りに渡ることができた。
これより長い鉄橋があったらどうしようかと心配するうち、第1幕別川橋梁が見えてきた。
幅も長さも違うガーダーを組み合わせた2連の鉄橋だが、うれしいことに管理用通路がついている。
鉄網を通して見える下方をできるだけ見ないようにして渡ると、路盤はササが少なくなり開けていた。
それもすぐ終わり、再び、ようやく頭が出るほど高くなったササと格闘していると、ヤブの間から前方になにかが見える。
まだ出発してから40分くらいしか経っていないし、残りの橋もあるので、タツニウシナイ川ではないはずだがといぶかしんでいるうち、驚いたことに、いきなり築堤がなくなり、広場に出た。
ちょうど昼休み直前だったので、50mくらい離れた現場事務所前に集まった人たちがこちらを見ていたが、向こうはもっと驚いたろう。
なにしろ突然、ヤブのなかから大きなものが転げ出てきたのだから。
今回はここまでです。おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は沼川~樺岡間その2です。
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