
北海道の廃線跡探訪 第115回 深名線(3/6)沼牛~政和間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第115回深名線その3 沼牛~政和間です。
沼牛には修復された駅舎があり、幌加内のバスターミナルには深名線資料室があります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.沼牛~幌加内

沼牛には駅舎とホーム、農業倉庫が残り、2015(平成27)年には地域の歴史遺産として駅舎を保存する活動が始まった。


駅舎は、扉や窓に打ちつけられていた板も取り除かれ、木製窓枠を復活させるなど、ていねいに手が入れられ、車寄せ上部の駅名板も、字体や色まで復元されている。

さながら営業当時のようにみえるが、まわりはみごとに整備され、まったく平らな地形といい、まるでジオラマ模型を見ているようでもある。


1995年8月撮影

新成生までの路盤は、作付面積日本一を誇る幌加内名物ソバ畑のなかに残っているが、幌加内川橋梁には痕跡はない。


仮乗降場昇格組の新成生は、深川方の路盤は残るが、ホームのあった名寄方は耕地整理で消失、その先のヤウンナイ(弥雲内)川橋梁にもなにも残っていなかった。

弥雲内川の先で路盤はヤブとなり復活、深名線を跨いでいた用水路橋が、堀割のなかに残っている。


堀割には陽があまり射しこまないためか、それほど密生したヤブではないが、やはり草が繁茂する季節は歩くのは難しい。

幌加内市街が近づくにつれて、路盤は農地や宅地となったところが多くなり、市街手前の雨煙内川に架かるウエンナイ川橋梁も痕跡はない。


3.幌加内

幌加内町役場のある中心市街に位置する幌加内は、朱鞠内とともに、最後まで列車交換をしていた沿線随一の駅だった。

廃止後もしばらく駅舎が残っていた構内は、再整備され面影はまったくないが、一隅に線路に駅名標を配したモニュメントがある。
駅名標の本体以外はすべて新たに造られたようで、線路の方向も違い、まわりの情況ともあいまっていささか趣には欠けるというのは贅沢だろうか。

国道沿いにあり、バスターミナルも併設されている幌加内交流プラザには深名線資料室があり、展示品も充実している。



幌加内町の人口は最盛期の14,000人近くから1,300人あまりへと激減、町としては人口が北海道内最少、かつ人口密度が全国最低となってしまった。
ターミナルへ発着するバスの乗客も実に少ない。
2010年には空知支庁だった管轄が、実態に合わせ、上川総合振興局となっている。



4.幌加内~上幌加内
幌加内市街にあった北4号の踏切は直線化、その先の元川にも橋の跡はなく、市街北端の幌加内小学校裏で路盤は消えている。

これもJR昇格組の上幌加内は、線路とホームの一部、駅名標の枠と運転用の駅名表示標が保存されている。
ホームは駅名標のところのみのレール利用の脚2つ分で、まさに本物の学校朝礼台のようになっている。
とはいっても実物なので、人工的なモニュメントよりもずっと味わいがある。

しかし、最近、駅名標の枠が壊れ、ホームの上板はすべてなくなるなど、痛みが目立ってきている。

5.上幌加内~政和

上幌加内からも路盤はほとんど消失し、雨煙別の手前でようやくヤブとなって現れる。
第1雨竜川橋梁ではじめて雨竜川を渡るが、痕跡はない。

やがて両側から山に挟まれるようになり、雨竜川と国道と路盤が近接してくる。
雨煙別川にも痕跡はなく、1990(平成2)年3月10日廃止された雨煙別には倉庫だけが残っている。

政和方の第2雨竜川橋梁にも跡はなく、対岸には路盤が少しだけあるがすぐ農地となり消えてしまう。

深名線に沿った林道をたどると、途中から路盤を転用した区間となるが、次第にヤブが濃くなり、進めなくなる。


さらに山地が迫ると、国道から雨竜川の対岸に路盤が見え、神居橋梁が撤去されているのがわかる。

やがて深名線で唯一現存する鉄橋、トラスとガーダーの第3雨竜川橋梁が現れる。
鉄橋は保存会の手で毎年春先の除雪などていねいに保守されているため、美しい状態が見られる。

政和方にある広場には、鉄橋の解説板と、この工事で若くして殉職した技師の慰霊碑がある。


一線川に架かるホロカウリベツ川橋梁も跡はなく、雨煙別と同時に廃止された政和温泉も路盤だけとなっている。
再び平地の畑作地帯に出ると、路盤は耕地整理でなくなるか、残っていてもヤブになっているのは変わらない。途中の二線川橋梁や浅瀬川橋梁などの痕跡もなく、政和となる。

今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、政和から朱鞠内へ向かいます。