北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ
その4 国鉄キハ12形の思ひ出
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線の廃線跡を主にした記事を投稿しています。
ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。
同世代のかたや先輩諸氏にとっては、ご存じのことが多いでしょうが。
第2、3回と、自分の趣味に走りすぎたとの反省?から、今回は国鉄型気動車の話題です。
「失われた鉄道」の遺産ではないのでは?というツッコミには、失われた「鉄道の遺産」ということで・・・
国鉄も、もうないことですし。ご勘弁を。
2.キハ10系
国鉄で初めて量産された液体式気動車、キハ10系は車体を軽量化するため、当時の一般車輌より車体断面が小さくなっていました。
座席も、ひじ掛けがなく、背ずりも薄っぺらで、後ろ側の人の動きが自分の背中に伝わり、グニャグニャした感じのする、気持ちの悪いものでした。
それがイヤで、中央部の排気筒カバーにある座席を選んだものですが、夏は背中が排気熱で暑くなり、とても耐えられません(逆に、冬は暖かい)。
上部が固定されたバス窓だったため、立っていると窓からの風は来ず、車体断面が小さいこともあり、夏は暑苦しい車輌でした。
さらに、台車の振動が直にひびき、乗り心地もよくないので、車体断面が一般車輌並みになった、後継のキハ20系などとは、かなり差がありました。
3.キハ12形
キハ10系一族キハ12形は、北海道向けとしては耐寒性能が不充分だった、キハ11形100番代を教訓に、保温のため床を木張りに、窓を二重にするなどの対策を加え、1956(昭和31)年に登場しました(当初はキハ48200形)。
22輛が製造され、当初は深川・旭川・稚内といった道北に配置されています。
1970年代末には池田に集まり、士幌線・広尾線・池北線、そして根室本線で使われていました。
老朽化したキハ10系の代替として、1977年に北海道向けのキハ40形100番代が登場、1979年には池田にも配置されます。そのため、キハ12形も徐々に置きかえられていきました。
スソ絞りの広幅車体をもつ、ピカピカのキハ40形の前では、酷寒地向け気動車の決定版で、北海道の普通列車用主力気動車だった、キハ22形でさえ見劣りしてしまいます。
キハ12形も最晩年には、キハ40形と同じ、首都圏色に塗られた車輌もあり、一段と貧相に見え、かわいそうでした。
4.番外:キハ12 23
キハ12形の保存車輌はありませんが、1999年公開の「鉄道員(ぽっぽや)」撮影用に、キハ40 764を改造、キハ12 23とした車輌が、廃車後、幾寅駅前に保存されています。
このキハ12 23は、キハ12形に似せて改造されたとのことですが、現車は首都圏色の塗装とあいまって、あまり似ていないような気がします。
おまけに、古さを感じさせるため、模型の(あまり上手でない)ウェザリングのような塗装がされていました。
いくらなんでも、あそこまでは汚いことはなかったと思いますが。
保存後は塗り直されて、きれいになっていますが、やはりこれはキハ12形ではなく、キハ40形でしょう。
なお、10系気動車は、鉄道博物館にキハ10形、リニア・鉄道館にキハ11形が保存されています。
私鉄での保存車では、南部縦貫鉄道キハ104(旧キハ10 45)、加悦鉄道キハ10 18(旧キハ10 18)があります。
キハ10 18は、加悦鉄道廃止後、加悦SL広場で保存されていましたが、2020年閉園してしまい、今後が心配されます。
今回も、おしまいまでお読みくださり、ありがとうございました。
次回は十勝鉄道の保存車輌です。
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