北海道の廃線跡探訪 第62回 幌内線(1/3)岩見沢~三笠間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第62回 幌内線その1 岩見沢~三笠間です。
幌内線は幌内炭鉱の石炭輸送のため敷設された、歴史のある路線でした。
炭鉱がすべてなくなった現在でも、沿線には駅舎をはじめ、鉄道記念館や炭鉱遺産があります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.幌内線小史
幌内線は、1880(明治13)年11月開業した北海道最初の鉄道 幌内鉄道手宮~札幌間の延長区間として、1882年11月札幌~幌内間が開業、本来の目的である石炭輸送が始まった。
幌内太(改称/三笠)~郁春別(改称/幾春別=漢字変更)間は、幌内鉄道が北有社に経営委託された後、1888年12月10日開業している。
北有社の経営はわずか1年あまりで終わり、翌年10月北海道炭礦鉄道に払い下げられる。
1906年10月北海道炭礦鉄道は国有化、1909年10月鉄道線路名称制定により、岩見沢~幌内・幾春別間が幌内線となった。
幌内線は、幌内・幾春別をはじめとする三笠市域の炭鉱からの出炭や三笠市民の足として活躍したが、戦後、エネルギーの石炭から石油への転換により、沿線炭鉱は次々に閉山、幌内線の営業成績も下降線をたどる。
1972(昭和47)年11月1日には三笠~幌内間の旅客営業を廃止、同時に三笠~幾春別間が「本線格」となり、岩見沢~幾春別間18.1㎞・三笠~幌内間2.7㎞と変更されている。
1980年には第二次特定地方交通線に指定、沿線に最後まで残った北炭幌内炭鉱の石炭輸送のため、第三セクター化も検討されたが、長期的な炭鉱存続の見通しが立たないことから断念。JR北海道に継承された後、1987年7月13日廃止された。
3.岩見沢
幌内線営業当時の函館本線岩見沢駅舎は2000(平成12)年12月焼失、グッドデザイン賞を受賞した新築駅舎となっている。
駅前広場も再整備されたため、見違えるほどになっている。
幌内線や万字線が発着していた1番線は中心部が改築されているものの、旭川方・札幌方とも石積み部分が残り、室蘭本線の列車が発着している。
「UNION 1903 I.R.J.」などの陽刻のある古レールが骨組みに使われた昔ながらの跨線橋は、現代的なデザインの新駅舎と対照的で、駅の長い歴史を感じさせる。
4.岩見沢~萱野
岩見沢を出た幌内線は、しばらく函館本線と並行、東2丁目通(道道6号)の跨線橋の先まで草に覆われながらも線路が残っている。
幌内線は利根別川の手前で函館本線と離れ、東へ向かう。
利根別川の第3利根別川橋梁や北海幹線用水路の第二号灌漑溝橋梁は、ともに流路が変わったため痕跡はないが、路盤に沿って防雪林が続いている。
路盤は国道12号の跨線橋「見晴橋」まで放置されているが、跨線橋の先は盛土され消失、新興住宅地となっている。
1980年10月仮乗降場として開業、JR発足時に駅となった栄町には、駅の痕跡はないが、記念碑「幌内線記念之碑」が建てられている。
レールと車輪をあしらった大きな記念碑には、さよなら列車が停まる栄町駅の写真や幌内線の歴史が記されている。
最後まで設備面では仮乗降場と変わらなかった無人駅の記念碑としては実に立派で、手入れもよくされている。
栄町からも真新しい住宅が建っているが、新東町団地の端から路盤が復活、ササや樹木が生い茂る深いヤブとなっている。
栄町の先の水路や市来知川にも橋の跡はなく、道道30号の手前は廃材置き場や宅地となり、踏切跡もない。
道道からはすぐ萱野の駅構内となるが、農地化されている。
5.萱野
萱野は岩見沢~幌内太間で初の中間駅として、1913(大正2)年9月開業している。
駅舎は現役当時には下見板に無粋なサイディングが貼られていたが、今ではきれいに修復されている。
駅前広場には三笠市の建てた立派な記念碑があり、ブロック造の駅便所も残る。
駅舎の出入口には右書きの駅名板が掲げられ、窓枠もアルミサッシから木製に変えるなど整備されている。
内部には幌内線の写真なども展示され、ライダーハウス「旧萱野駅」として使われている。
あまりに整備されすぎて、いかにも復元といった風情だが、三笠にある「幌内太駅」とは違って、やはり本物の風格がある。
構内には、ホームの一部が残り、以前駅前の民家にあった車掌車ヨ8013が置かれ、ここの内部も女性専用車輌(宿泊施設)になっている。
木製の駅名標も復元されており、全体の形や字体もよくできている。
次駅は岩見沢と幌内太、萱野の所在地は三笠市ともある。
うるさいことをいえば、幌内太が三笠と改称されたのは1944年4月、三笠の市制施行は1957年4月だから、こういう表示はなかったはずだが。
以前ヨが置かれていた民家には踏切警報機も保存されている。
6.萱野~三笠
萱野の先の路盤は消えているが、道央自動車道をくぐる手前で復活、並行する道路からは、用水路の小さな橋台や赤いIビームの鉄橋が見える。
路盤は一部が農道として使われている以外だいたいヤブとなり、前田の沢川にはIビーム橋が残っている。
路盤はやがて幾春別川に沿い三笠へ向う。この区間には珍古池の沢川のアーチ橋やコンクリートの小さい橋も見られる。
三笠手前の三笠幌内川には3本並列のガーダーの下幌内川橋梁が残っている。三笠方の道道踏切跡からの路盤はヤブになっていないので、観察しやすい。
3本もあるのは、幌内方面への線路が三笠駅構内の手前で分岐していたからで、三笠から幌内へ向かう列車は、引上線を一旦岩見沢方へバックしてから幌内へ向かっていた。
踏切を過ぎると三笠駅構内となる。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は三笠から幾春別へ向かいます。