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北海道の廃線跡探訪 第11回 興浜北線 浜頓別~北見枝幸間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第11回 興浜北線です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.興浜北線小史
興浜北線は1936(昭和11)年7月10日、北見線(後の天北線)浜頓別~北見枝幸間30.4㎞が開業した。
支線ができたので、北見線は北見本線となってもよさそうだが、なぜかそのまま。
興浜の「興」は興部、「浜」は浜頓別。「北線」の名が示すように、本来「南線」と結ばれ、「興浜線」となる予定だった。
北見線小頓別~歌登~北見枝幸間には、殖民軌道枝幸線があったため、不要不急路線として、1944(昭和19)年11月1日休止となる。
しかし、撤去されたレールが搬出前だったため、早くも翌年12月5日には復活している。
興浜北線は、国鉄再建法による第一次特定地方交通線に選定、1985(昭和60)年7月1日廃止された。
3.浜頓別
(起点の浜頓別については、天北線の第4回・第5回をご覧ください)
4.浜頓別~頓別
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興浜北線は浜頓別から南へ向い、天北線とともに国道275号をアンダークロスしていたが、国道は直線化され、跨線橋のあったあたりは公園となり面影はない。
公園と抜けると、路盤は遊歩道のある、雨水5号幹線という用水路になっている。
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遊歩道の休憩スペースには、車輪がモニュメントとして置かれ、鉄道を感じさせるつくりになっている。
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かつての跨線橋で用水路は終わり、路盤は頓別川に向けて、浅い堀割となって続いている。
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頓別川の橋は痕跡なく、前後の築堤だけ残っているが、川の手前では崩されていた。
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5.頓別~豊牛
頓別川を渡ると頓別仮乗降場があった。
「頓別」シリーズのうち、唯一なにもつかない、ただの、頓別。
「白滝」シリーズのうちでは、白滝がもっとも大きい駅だが、頓別は、1956年2月設置の仮乗降場だった。
頓別仮乗降跡跡にも、取付道路らしき跡があるだけで、駅近くの踏切も消失している。
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この先で、豊寒別川の支流と本流を渡っていた。
支流の橋も、その先の本流にも痕跡はない。
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路盤は豊寒別川の先から、しばらく未舗装道なっており、クルマでも走れる。
おそらく廃線跡に並んで建てられた、風力発電の風車の管理用道路として使われているのだろう。
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頓別の先から豊牛の手前までは、オホーツク海を眺めながら、国道238号の旧道に並行していく。
路盤は新道と旧道が合流する附近は消失しているが、轍が残っているところもあり、それほどヤブは深くはない。
6.豊牛~斜内
豊牛は集落の一隅に、ポツンと駅舎が残っている。
国鉄末期、北海道内各地のローカル線に建てられた、面白味のない駅舎だが、「豊牛駅」の表示もそのままだった。
2023年には、正面の駅名表示板が割れていたが、待合室内の時刻表はまだ残っていた。
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豊牛からも、一部は作業道として使われ、国道からも路盤が続いているのが見える。
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頓別と同時に設置された豊浜仮乗降場は、住宅地の裏手の空き地となっている。
路盤は前後でほんの少し開けているだけで、ヤブが濃くなってきていた。
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7.斜内~問牧
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豊牛と同じような斜内駅舎は、あまり使われているようすはなかったが、状態は悪くない。
元の駅構内だけはかろうじて草が少ないが、路盤は深いヤブに閉ざされている。
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斜内を過ぎると、神威岬をまわる「斜内山道」となる。ここは、蒸気機関車の時代から、興浜北線随一の撮影名所でもあった。
興浜北線と並んでいた国道は直進し、北オホーツクトンネルで斜内山を抜けるようになった。
新国道はちょうどトンネル入口あたりで路盤とクロスしている。
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旧国道も閉鎖されていないので、交通量の少なくなった道から、ゆっくりと路盤を観察できる。
路盤は次第に、旧国道と高低差をつけていく。
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岬にある灯台の下には、路盤がほんの少し道になっているが、そのほかはヤブに覆われている。
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岬を過ぎると枝幸町となる。
再び旧国道と同じくらいの高さまで下りてきた路盤は、旧国道が新国道と合流するあたりで山側へ移る。
いったん国道に取り込まれた先で、目梨泊となるが、ここにもなにもなく、空き地になっている。
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目梨泊からは、路盤は少し国道と離れ、再び近づいたところに、頓別と同時に設置された、山臼仮乗降場があった。
ここも取付道路だけが痕跡といえ、路盤はヤブに埋もれている。
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路盤は国道と同一面になる問牧市街北方から、国道238号に転用されている。
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問牧は、旧国道が路盤転用の新道に合流する先にあった。
駅跡には、問牧コミュニティセンターが建ち、駅の面影はまったくない。
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ここから再び路盤が山側に現れるが、相変わらず深いヤブになっている。
8.問牧~北見枝幸
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問牧川橋梁は、国道から少し離れているので、樹木にさえぎられてよくわからない。
航空写真では残っているように見えるので、道路から川沿いにヤブこぎして近づくと、少し高いところにコンクリート橋があった。
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ガーダー橋を期待していたので、ちょっとがっかりしたが、それでも残っていただけでもうれしい。
探索できたところでは、興浜北線に残る唯一の橋であり、随一の見どころであろう。
ここからも路盤は、道路からは離れたところが多い。
だいたいはヤブに覆われているが、ウスタイベ岬のあたりから1㎞ほど作業道となっている。
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枝幸市街を大きく迂回している、国道の枝幸跨線橋から見ると、問牧方の路盤は、やはり深いヤブになっていた。
跨線橋は2016(平成28)年撤去されている。
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跨線橋跡を過ぎると、路盤は「興浜線通」という道路に変わり、市街地のなかを、北見枝幸へと一直線に向かっている。
沿道には新しい住宅や大きな病院が建ち、並木のある歩道が整備された、静かな通りである。
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「興浜北線通」ではなく、「興浜線通」なのは、全線開業を果たせなかった無念さを表しているように感じられる。
かつて市街の西にあった北見枝幸駅跡はすっかり変貌、少し離れた市街にあったバスターミナルが移転してきている。
附近には大きなスーパーマーケットもあり、今でも街の中心として機能しているようにみえる。
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交通公園とそのなかにある「北見枝幸駅跡」の記念碑、駅前食堂だった「一級食堂」の風格ある建物だけが昔を伝えていた。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は富内線です。