北海道の廃線跡探訪 第61回 相生線(3/3)布川~北見相生間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第61回 相生線美幌~北見相生その3 布川~北見相生間です。
いよいよ終点北見相生です。ここは駅構内がそのまま保存され、車輌も状態よく管理されています。国道240号の道の駅が隣接しているので、訪れる人も少なくないようです。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.布川~北見相生
布川を出ると、第1網走川橋梁ではじめて網走川を渡るが、北見相生方の築堤が確認できただけで、橋台などの痕跡はなかった。
この先も路盤は農地化されたところが多いが、国道からは部分的に残った築堤や小さな橋台が見える。
農地は獣害防止の鉄網で囲われているため近寄れないが、一カ所だけ作業道があり、近づけた。ここの橋台には「二見川」と彫られているのが珍しい。
相生市街へ向かう旧国道の踏切跡は、不自然な屈曲が改変されているが、路盤ははっきりわかる。
路盤はそれほどヤブが濃くないので、まずは布川方へ行ってみたが、やはり途中で崩されていた。
北見相生方もなんとか進めるが、路盤は低い築堤となる。
築堤上にはエゾシカよけの金網が設置され、しかたなく網の端を歩く。築堤の反対側には壊れかけた通信柱が見える。
考えてみると、なにも無理して路盤を歩かなくてもいいので、側溝のようなところを行くことにした。しばらくすると、溝に水が溜まりだしたので、ヤブの薄いところから並行している国道へ迂回したが、築堤は次第に高さを増し国道から離れていくので、再びヤブこぎをして戻る。
国道と築堤の間は湿地帯となり、路盤はまだ金網で囲まれている。築堤の急斜面を上ってみると、第2網走川橋梁は完全に撤去され、北見相生方も築堤が断面を見せているだけだった。
網走川を渡った相生線は、いったん旧国道の東側へ出、ここには小さな橋台が1対残っていた。路盤は再び西側へ戻り、北見相生駅構内となる。
5.北見相生
構内の入口には場内信号機が建ち、そこから線路が敷かれたままになっている。ここには軌道自転車が2台留置(放置?)されていた。
旧北見相生駅構内は、道の駅「あいおい」の一施設、相生鉄道公園となっている。
側線の一部が撤去されているほかは営業当時のままで、駅舎やホームはもちろん、腕木式信号機も保存されている。
車輌は、キハ22 69、スハフ42 502、トラ74569、ワム180455、ワフ29500形(記号番号は消えていたが、資料からワフ29574)、それにキ703がある。
スハフは相生線には縁がなかっただろうが、ライダーハウスとなっているためか、屋根には鉄板が貼られ、ベンチレーターもすべて撤去されている。
キ700形も操車場や側線の多い駅で使われた除雪車だから、ローカル線には似合わないが、保存されているだけでもありがたい。
各車の状態とも、露天保存としてはたいへんよく、当日も掃除に来ている人を見かけた。
キハはテールライトのガラスが一部失われているが、クリームと朱の2色塗りになっているのが特筆される。
2020年にはクラウドファンディングによる車輛整備がなされたが、せっかくここまできれいにしたのだから、車輛標記の字体まで気をつかってほしかったというのは贅沢だろうか。
ピンク色に塗られた駅舎は、鉄道資料を展示しているほか、かつては町営バスの待合所となっていたが、今は、道の駅の一施設「駅舎カフェほろか」としても使われている。
2017年訪問時は、意外なことに休館日で入れなかったが、津別まちバスは予約制だから、バス待合所としての必要性はないのだろう。
後日、再訪して内部も見学できた。
旧待合室には、北見相生と本岐の時刻表や運賃表、開拓の駅名標なども展示されている。
旧事務室内には通票閉塞器や駅で使われていた備品類が置かれているが、ふだんは非公開らしい。
駅名標や名所案内はきれいに塗り替えられ、違和感のある字体になっていたが、きちんと管理されているあかしではある。
蒸気機関車廃止で不要となり、路線廃止前に撤去されていた転車台は、円形のピットのコンクリート上面が地面から顔を出していた。
整備されているのは、ここまでのようで、その先は草が生い茂りヤブと変わらない状態だったが、線路はそのまま残っている。
転車台からレールを組んだ小鉄橋を渡ると機関車駐泊所がある。しかし、前面部分は倒潰し、横の詰所も草に覆われ、なかば朽ちかけていた。
これらが皆、状態よく保存されていたら、ずっと価値があったのに惜しいことと思う。
崩潰はますます進んで、排煙用煙突も落ちてしまっている。駅前にある鉄道官舎も、近年一部がつぶれかけている。
国道240号に面した道の駅は、交通量がそれほど多くないのにもかかわらず、観光客で賑わい、白樺林で区切られている、相生鉄道公園を訪れる人も散見される。
とくに鉄道好きではなさそうな人だったが(車輌にはほとんど興味を示さない)、国鉄時代を知っている年配者だけでなく、若い人も見うけられた。
平屋の駅舎などはほとんど目立たないから、やはり道の駅からも車輌が見えることが、目をひく一因だろう。
道の駅とは対照的に、相生市街に向いている駅舎正面は、ひっそりと静まり返り、元の駅の裏に道の駅があるのではなく、道の駅の裏に元の駅があるといった状態となっている。
今や完全に表裏が逆転してしまっているのが印象的だった。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は幌内線です。