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北海道の廃線跡探訪 第19回 広尾線(4/4)大樹~広尾間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪 第19回 広尾線の4回目(最終回)です。
いよいよ終点広尾に向かいます。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.大樹~豊似
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大樹駅構内が終わる市道の踏切跡から振別川までは何とか歩いて行けたが、第2振別川橋梁の跡はなかった。
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路盤は振別川の先もヤブになっているが、やがて農地に取り込まれ、切れ切れにしかたどることができない。
リュウ川には淡緑色のガーダーの竜川橋梁が残り、「竜川橋りょう」と書かれた塗装標記も残っていた。
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再び農地化され路盤は、石坂市街で道路となり石坂に至る。
道路化された石坂には何もなく、大樹方には石坂行政区会館が建ち、駅舎に突き当たっていた駅前通りだけが面影を残している。
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石坂の先には錦川・紋別川と橋が続いている。
錦川にはコンクリート橋が残るが、紋別川橋梁とインダタラ川の越川橋梁は築堤が残るだけとなっている。
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紋別川を渡るといよいよ広尾町となり、豊似までは林を通して低い築堤となった路盤が、国道から見える。
ところどころにコンクリート製の溝橋や土管の通水路があり、十四線附近は作業道として使われたらしく、500mほど樹木が伐採されていたので路盤を歩くことができた。
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豊似の手前の路盤には、豊似防災ステーションが建ち、すぐに駅構内となる。
3.豊似~新生
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豊似にも痕跡はなく、道路から一段下がった空き地となっている。
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豊似を出た踏切跡から望むと、線路標識が傾きながらも立っていた。
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国道からは豊似川への見事な築堤が、道路橋からは川の中央に豊似川橋梁の橋脚の跡?らしきものも見えた。
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一部をのぞいて、路盤はあいかわらず国道に沿っているから、観察はたやすく、二線川の橋台も見える。
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野塚の手前の野塚川橋梁は痕跡なく、野塚も空き地が拡がっているだけだった。
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野塚からも同じような状態が続き、途中の新生川にもなにもない。
新生は十勝東和と同時に設置された駅で、広尾線が十二線道路と交わるところにあった。
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踏切で不自然に曲がっていた道路も直線化され、野塚方にあった駅自体の痕跡はないが、2013年には道路沿いに待合室と便所、自転車置き場?が残っていた。しかし、2023年には跡形もなくなっていた。
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4.新生~広尾
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新生からの路盤もヤブになっているところが多い。
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国道の跨線橋は平面化され、前後の路盤がヤブになっているのがわかる。
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楽古川方の作業道をたどると、川へ向かって築堤が続き、河岸からは楽古川橋梁の橋台が遠望できた。
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一方、楽古川南岸の林道から路盤を目指すと踏切跡に出る。ここには道路標識が立ち、広尾方はすぐ一の沢を渡り、新生方は浅い切通になっている。
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ササが密生してはいるがそれほど深くないヤブを行くと、楽古川が見えた。対岸には橋台があったが、足元の広尾方は撤去されていた。
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一の沢川を渡る福留川橋梁には広尾方の橋台が残る。
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路盤はなおも山中を進み、切通や築堤が連続している。
オピツマナイ川を小さなコンクリートアーチの橋で渡ると市街地となり、ここから広尾までは道路脇の空き地となっている。
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5.広尾
広尾は大樹駅舎を大きくしたような、モダンな駅舎がバスターミナルとなっていた(旧駅舎の写真は冒頭にあります)。駅は広尾市街の西北端にあったが、今では、かつて駅裏だった西方まで市街が拡大している。
旧駅舎は、改札口をはじめ広尾線営業時とほとんど変わらず、降車専用口には最終期の到着時刻表まで掲げられたままだった。
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ホーム側には発車ベルも残っていたが、ホームは路盤がかさ上げされたため、端部のみ見えていた。
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駅舎とは対照的に、構内にはまったく面影がなく、タクシーなどの駐車場となり、かつて保存されていたキハ22や客貨車も姿を消している。
えりも方面へのJR北海道バスだけでなく、広尾線代替バスである十勝バスもホーム側ではなく、駅正面に発着、駅前ロータリーも使われていた。
かつての駅事務室は資料室となり、広尾町内だけでなく広尾線全線の資料が展示されており、なかなか充実していた。
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元の改札口横には各駅の廃止記念スタンプが並べられ、かなり摩耗しているが、押印はできた。
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十勝バスの自動券売機はなく、2013(平成30)年5月にも人手による発券をしていた。
硬券らしいので記念に1枚と思い、最短区間140円の切符を求めたが、広尾市街の区間はなかった。やむなく最低運賃を尋ねると、「次の駅の新生まで、280円です」とのこと。
あきらかに記念に買うだけなのに、窓口の女性は、最低運賃がなくてとしきりに恐縮していたが、資料室や駅舎の見学料としてみれば、決して高くない。鉄道様式の硬券乗車券は十勝バスの「伝統」でもある。
「愛国から幸福まで」ブームのときは、地紋と運賃(国鉄より高かった)以外は、ほとんど見分けがつかないくらいのバス乗車券を売っていた。
国鉄の切符とまちがえて買ってきた人にもらったが、情けないことに、どこかにしまいこんで、見つからない(2013年に広尾で買った、新生までの切符も見つからない!)。
2018(平成30)年、旧駅舎だった広尾バスターミナルは改築され、実態に合わせたコンパクトなものになった。
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当然無人化されたと思っていたが、小さくなったものの十勝バスの切符売り場は有人で、硬券切符(窓口にそう言っても通じる)は、広尾から新生と愛国までの2種類あるという。今回も新生まで買ってみた。
券面には以前と同じ280円とあるが300円に値上げされ、「運賃改正」などの印はなかったが、ちゃんと説明してくれた。
以前、地紋は北海道私鉄様式の「HPR してつ」だったのが、自社のものになっていた。十勝バスの表記が「TOKACHI BAS」とローマ字表記になっているのはご愛敬。
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以前展示されていた鉄道資料は広尾町海洋博物館・郷土文化保存伝習館に移されたそうだが、場所は旧駅からかなり離れてしまったのは残念に思える。
新生方の構内は鉄道記念公園として整備され、C11 176の第2動輪(第1動輪は糠平駅跡・第3動輪は音更駅跡にある)・腕木式信号機(背は低くされている)・ポイント転轍テコなどがモニュメントとして置かれている。
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汽車の形をした公園の案内板にも、広尾線の簡単な歴史とともにその功績を顕彰する文言もあり、水飲み場も動輪を模しているなど、広尾線を偲ぶよすがとなっている。
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広尾線は、かつては愛国・大正・幸福・忠類・大樹・新生・広尾と、7駅も駅舎が残り、屈指の残存率だったが、今では愛国・忠類・大樹だけになってしまった(幸福は模造)。
観光地化している愛国は別として、忠類駅舎や大樹駅舎が、末永く残ってくれることを祈らずにはいられない。
今回もおしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、歌志内線です。