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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その22 根室本線廃止区間その2 


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

今回は前回に続き、根室本線廃止駅です。道東方面へ出かけたとき、寄り道してみました。

根室本線はなんども乗車したことはあれど、前回の布部ぬのべ以外は下車したこともなく、途中駅としての記憶も、ほとんどありません。

通常篇のこれからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.東鹿越ひがししかごえ

東鹿越駅は石灰鉱山隣接駅として有名でした。かつては短いながらも鉱山まで専用線があり、ディーゼル機関車がいました。

いまでも操業中の石灰鉱山から騒音が響いてきますが、主要道から外れた、かなやま湖に隣接するひっそりとしたところです。

東鹿越駅舎 2024年5月撮影

東鹿越駅だけは、根室本線の列車から専用線のディーゼル機関車を探した記憶が残っています。

今年3月31日まで列車が運行されていた区間はここで終わりです。この先は2016年8月末の台風10号による災害で、復旧されることなく廃止されました。

3.幾寅駅

幾寅駅は、南富良野町(通称南富なんぷ)の中心市街地にあります。

1999年公開の映画「鉄道員(ぽっぽや)」ロケ地として一躍有名になり、いまでも観光客が絶えません。ただ、旧広尾線幸福のように、貸切バスで団体客が押しよせるまでにはなっておらず、落ちついた雰囲気が保たれています。

駅舎は惜別プレートがあるくらいで、まったく営業当時と変わらず、右上にある小さな「JR幾寅駅」の表示もそのままです。

幾寅駅舎金山駅舎と同じ、待合室が左、事務室が右の配置です。
以前は、窓や戸はアルミサッシ、壁はサイディングに改装されていましたが、映画ロケのため羽目板張り、木製窓枠・扉になっています。

幾寅駅舎 惜別プレートがだけが唯一の変化? 2024年6月撮影(タイトル写真は同年5月撮影)
こちらは営業当時(といっても代行バス)の幾寅駅舎 2020年9月撮影

立ち入り禁止の単管柵もなく、駅舎内(「鉄道員」の展示がある)はもちろん、ホームにも入ることができます。駅名標も撤去されていません

だいたい柵があっても、もともとどこからでも入れるし、列車が来るわけではなし、第一、経営困難なJR北海道としては、お金のムダ使いではなかろうかと思ってしまいます。もちろん、法規や管理上のさまざまな問題からであることは重々わかりますが。

名所案内は消えかかっているが、駅名標もそのまま 2024年6月撮影
ホームから東鹿越方を望む 遠くの踏切には柵が・・・ 同
同じく落合方を望む 異常に低い腕木式信号機は映画用 トラロープは営業時から 同

幾寅駅舎は、以前から地元の人たちがていねいに管理していましたが、これからは南富良野町も加わり、末永く伝えられていくことが期待できます。

キハ12 23として映画に出演したキハ40 764 車内にも入れる 同

4.被災区間の悲惨

幾寅から根室本線は、国道38号に沿い、狩勝峠へ向かいます。

8月末の台風被災後の2016年10月、幾寅から狩勝峠へ向かい、国道38号を走ったことがあります。国道から見ると、鉄橋のガーダーまで土砂がたまるなど、被災の跡も痛々しく、放置された線路には早くも草が生えはじめていました。

同じ台風で、根室本線よりはるかに甚大な被害を受けた国道274号(日勝峠)は、すでに総力を挙げた突貫工事が始まっていました(それでも全線復旧には1年あまりかかっている。斜面にあった道路=覆道自体が崩落し、跡形なくなった映像は衝撃的だった)。

復旧工事たけなわの国道とは対照的に放置された線路を見ると、どうしても、被災を奇貨として一気に廃止へと突き進んでいったような思いをぬぐえません。

なにしろ、当時の道政トップは、苦境を訴えるJR北海道の社長に対し、いつもの能面のような無表情で、「自助努力が足りない」などと、冷たく言い放つしまつでしたから(いまは「攻めの廃線」!)。

目先の金にばかり気をとられ、広い視点からものごとをみられないのでしょう。鉄道事業は公共事業だと思っていましたが、いまはそうではないのかしらん。

なんでも外国のまねをすることがよいとは思いませんが、「日本の鉄道の常識は、世界の鉄道の非常識」といわれるようなこともあるそうですし・・・

5.落合駅

落合駅は南富良野町東端の市街で、駅は国道から少し入ったところです。

被災翌年の6月に休憩がてら立ち寄ってみました。
新得方にある歩道橋から構内を眺めると、流入した土砂に覆われて線路すら見えず、すでに廃線跡なみとなった光景に、言葉を失いました。
ルピナスの花がきれいに咲いていましたが、とても写真を撮る気になれなかったことが忘れられません。

施錠されてはいるが、落合駅舎も惜別プレート以外は変わらない 2024年5月撮影
営業当時(といっても代行バス)の落合駅舎 2020年9月撮影
盛時を物語る跨線橋 2024年5月撮影
幾寅方を望む 列車が来なくなってすでに8年近く こんなに樹木が生長 同

石灰鉱山関係以外ほとんど民家のない東鹿越とちがい、先述のように、幾寅は南富良野町の中心市街地です。下記のJR北海道の資料をみると、幾寅直前の幾寅川橋梁の土留め壁が崩落したくらいしか被害がなかったようなのに、復旧することがなかったのは不思議です。お金をかけて復旧しても、かえって赤字が増えるだけという消極的な理由だとは想像はできますが。

JR北海道資料「一連の台風による石勝線・根室線の災害復旧の状況について」より

上記資料の全ページは下記にあります。

https://www.jrhokkaido.co.jp/press/2016/161013-1.pdf

地球温暖化の影響とやらで、全国各地で毎年のように土砂災害が発生し、鉄道にも被害が及んでいます。
北海道だけでなく、これ以上悲惨な路線が増えないことを願うばかりです。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

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