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北海道の廃線跡探訪 第101回 渚滑線(3/3)濁川~北見滝ノ上間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
今年はじめての投稿です。今年もよろしくお願いします。
北海道の廃線跡探訪第101回 |渚滑《しょこつ》線その3 濁川~北見滝ノ上間です。
終点の北見滝ノ上には駅舎が鉄道資料館となっています。
滝上町郷土館にも保存車輌が展示されています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.濁川
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濁川駅の元構内は、芝生がみごとなパークゴルフ場となり、駅舎がその施設の一部(倉庫?)として使われている。
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元駅舎はホーム側の差しかけ屋根が失われ、一部にサイディングが貼られてはいるが、あまり手を加えられておらず、鉄製の改札柵や駅舎に附随したホームも残存している。
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駅前の製材工場も操業中で、滝上町ではまだ林業が主力産業であることがうかがえる。
3.濁川~北見滝ノ上
濁川を出た路盤はしばらく舗装道路になっているが、道の駅「香りの里たきのうえ」の手前で直角に曲る道路と分かれる。
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道の駅からは丘に沿い北見滝ノ上へ向かうが、国道に沿った駐車場や緑地帯などになっている。
滝上市街地に入り、シュウトルマップ川には遊歩道の橋が架かっていたが、これは鉄道橋(白鳥川橋梁)転用ではなく、橋台も再利用していないように見えた。
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この前後にわずかに放置された路盤があるが、やがて舗装道路となり渚滑川を渡る。
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第3渚滑川橋梁跡は観光施設「虹の橋」に架け替えられ、橋台・橋脚ともに新しくされている。
強いていえば、北見滝ノ上方の石積みの擁壁が、そのままにも見える。
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橋の先の路盤は駐車場や道路となっているが、大きな製材所の前で出現、北見滝ノ上構内に入っていく。
4.北見滝ノ上
滝上市街は町役場のある渚滑川南岸と駅のあったサクルー川南岸に分かれている。
1960(昭和35)年には1万3,000人を超えていた滝上町の人口は、2024年では1/6ほどの2,200人あまりになっているが、芝ざくらで有名な滝上公園には、開花期の5~6月には毎年大勢の観光客が訪れる。
北見滝ノ上駅跡は滝上交通公園となり、駐車場やロータリー、公衆便所などが整備され、終端方には滝上町文化センターが建っている。
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文化センターには旭川・札幌方面への高速バスの停留所もある。
札幌と紋別方面との主要ルートが国道273号となり、かつての渚滑線沿線から旭川・札幌までは、渚滑線・名寄本線経由よりもはるかに速く便利に、そして安く行けるようになっている。
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北見滝ノ上駅舎記念館となった駅舎は、渚滑線営業当時の空中写真と比べると、少し東南に移動している。
記念館は4~10月開館(入場無料)、内部の旧待合室・事務室には渚滑線の各種資料が展示され、出札口と出入口上部の広告看板などには、営業当時の雰囲気も感じることもできる。
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ホーム側の差しかけ屋根はなくなっているが、新たに敷かれた線路には青く塗られた貨車移動機が保存されているほか、腕木式信号機2基や31㎞の距離標(距離から判断すると濁川のものか)、濁川・滝ノ下の駅名標などが立てられている。濁川と正面車寄せ横の北見滝ノ上のものは、上渚滑と同様、枠が軽便レールでできている。
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貨車移動機は自重5トン、内側台枠の丸棒ロッド駆動が特徴の小型ディーゼル機関車で、ほとんど読めなくなっている銘板からは濁川駅所属とわかる。貨車移動機の保存は珍しいが、これも木材輸送に活躍した渚滑線ならではともいえるだろう。
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5.滝上町郷土館
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滝上町郷土館SL館には、9600形39628号機とラッセル除雪車キ100形キ277が保存されている。
屋内だから状態は抜群によいが、キ277は塗装がかなり痛んできていた(きちんと補修はされている)。
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SL館の前にも記念碑のような9600形の動輪と59601のナンバープレート(複製、実機は名寄市北国博物館にキマロキ編成として保存)がある。なぜわざわざ他所で保存してある機関車を選んだのか不思議。
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解説板には「796両の「96式」機関車」とある。国鉄の9600形は770輛が定説(私鉄自社発注機や樺太・台湾を除く)だし、「96式」というのも戦前の軍用装備のようでもある。
渚滑線の駅舎は下渚滑・濁川・北見滝ノ上に残っているが、路盤はほとんど農地化され消失、仮乗降場も跡形なく、小川や用水路に残る橋台を探すくらいしかできない。
しかし、ちょうど来合わせて復元線路について説明してくれた、渚滑小中学校の若い先生(校内には神社もありますと笑っていた)たちがいるかぎり、渚滑線の歴史は子供たちに語り継がれていくにちがいない。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は、士幌線です。