北海道の廃線跡探訪 第66回 瀬棚線(2/3)美利河~今金間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第66回 瀬棚線その2 美利河~今金間です。
この区間は、新しい国道に転用されたり、今金市街では道路や遊歩道になっていたりしています。
それ以外では、国道転用の準備なのか、草が刈られ、快適に歩けるところもあります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.美利河~北住吉
美利河附近は、ダム工事のため国道などが大きく変わり、路盤は道路や宅地となり、美しい駅名と三角屋根の小さな駅舎で知られた駅も、痕跡をとどめていない。
美利河を出ると、しばらく樹林のなかの作業道となるが、やがてヤブに行く手をはばまれる。
その先の後志利別川にかかる第1渡島利別川橋梁も、地図には接近できる道路があるが、実際は消えており、近づけない。航空写真を見ると、橋本体は残っていない。
路盤は平面化された旧国道の跨線橋の先から国道に姿を変えている。
跨線橋跡から美利河方へ路盤をたどると、ダム放水を知らせるサイレンまで土盛がされていたが、そこからは、本来の高さとなった路盤が、森と同化した築堤となって続いていた。
花石方は築堤となった路盤が、新しい国道に摺りついていくのがよくわかる。瀬棚線はここから北住吉まで道路化され、後志利別川を渡る第2渡島利別川橋梁も架け替えられている。
今金とともに最後まで交換駅だった花石は、新国道から道道936号となった旧国道が分かれるT字路あたりと思われるが、道路切り替えと整地により、駅があった面影はまったくない。
花石から瀬棚線は小金トンネルで北住吉へ抜けていたが、国道は後志利別川に沿い大きく南へ迂回していたので、路盤を転用することでかなり短縮された。しかし、途中に集落はないから、旧国道のほうが交通量は多い。
花石~北住吉間の第3渡島利別川橋梁・第3白川橋梁・第1~3ハカイマップ川橋梁は架け替えられ、小金トンネルも国道の花石トンネルに改築されている。
北住吉の手前で路盤は国道と分かれるが、地形が改変され痕跡はなくなっている。
国道の山側にはコンクリートの架道橋がポツンと造られており、そこから種川方へ瀬棚線の路盤が延びていた。1956(昭和31)年12月25日設置の仮乗降場クラスだった北住吉は、ちょうどこの架道橋のあたりとなる。
架道橋はここから先も路盤を利用して国道とするためのものらしい。
3.北住吉~今金
国道の予定線?となっているためか、北住吉からしばらく路盤は草刈りがなされ、たいへん歩きやすい。
農作業にも使われているが、橋はすべて撤去されているので、クルマはもちろん徒歩でも迂回を強いられる。
ヴイタウシナイ川橋梁の跡はないが、前後の築堤は歩くことができる。
その先の国道の踏切跡から下ハカイマップ川までは作業道として使われているが、下ハカイマップ川橋梁の痕跡はなく、ほどなく種川となる。
種川は市街の南端、国道から駅前通りを折れた突き当たりにあった。今では駅を示すものはなにもないが、北住吉方の製材所は操業中だった。
かつてはここから木材や製材が盛んに積み出され、貨物が多いときは小金トンネル前後の急勾配(トンネルの花石方がサミット。25‰が続いていた)を上れず、引き返したこともあったと、ちょうど居あわせた旧駅前の人が話してくれた。
種川からも路盤は同じような状態が続いているが、農道と交わるところは踏切を平面化したためか、路盤はカットされていた。
農道からメップ川まで歩いてみたが、電気柵に阻まれる。迂回して今金方から堤防上の道を入ってみると、架かっていた種川橋梁の痕跡はまったくなかった。
メップ川を渡った路盤も、ところどころの用水路に橋台を残しながら今金市街まで続き、距離標(100m単位の乙号)が建っているところもある。
4.今金
今金町は北檜山町(現・せたな町)と並ぶ沿線随一の市街で、かつては人口も1万人を超えていたが、現在ではほぼ半減している。
路盤は市街の東端から道路化され、やがてオランダ通りという遊歩道となり、駅構内へと入る。
今金駅跡には「デ・モーレンいまかね」をはじめ、公共施設などが建ち並んでいる。
「オランダ通り」はともかく、「デ・モーレン」といってもわかる人はまずいないだろう(「デ・モーレン」とはオランダ語で「風車」とのこと)。今金町の花がチューリップだからオランダという発想らしい。
旧駅構内の遊歩道には線路が復元され、それに沿って町内5駅(美利河・花石・北住吉・種川・今金)の模造駅名標とそれぞれの観光案内が並んでいたが、現在、観光案内はなくなっている。
北檜山方の次駅神丘はないが、旧駅前通りを渡った西側にそれらしきスペースがあるから、ここにあったのかもしれない。
大きさ・形状・字体などが国鉄様式とは異なり、文字はカッティングシート。
今金の駅名は「いまかね」ではなく、「いまがね」であり、北海道では別海・雄武・旭川などとともに駅名と町名の読み方が違っていた。
以前ではテレビなどでも、町名も「いまがね」と発音していたように記憶するが、「べつかい」と同様、突如として正式な「いまかね」に変わった。
もともと今金という町名は利別村が戦後町制施行するときに、今村・金森という開拓者の名からつけた人工地名だから、濁らないのが正解なのだろう。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は今金から終点瀬棚へ向かいます。