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北海道 鉄道残照~失われた鉄道の遺産あれこれ

その33 標茶しべちゃ町営軌道のはなし その2


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

ことしからnoteをはじめ、「北海道の廃線跡探訪」なる、国鉄地方交通線廃線跡を主にした記事を投稿しています。

ここでは車輌や遺構のことなど、つれづれなるまま、書いていこうと思います。個人的主観で、なるべく有名でなさそうなものを・・・

前回に続き、簡易軌道標茶線(標茶町営軌道)その2です。

2.開運町のいま

標茶町営軌道の拠点だった開運町かいうんちょうには、今でも軌道事務所や機関庫が残っています。

40年近く前はじめて訪れたころから、ほとんど変わっていないのも驚きます。

簡易軌道でよく見られるブロック造の軌道事務所は、建築当時から増築されています。

軌道事務所 右側が増築部分 右奥に修理工場が見える 2024年9月撮影
同 裏側 左手が増築部分 2022年9月撮影
左から新機関庫、4線機関庫、修理工場 2024年9月撮影

4線の機関庫もブロック造ですが、奥行よりも幅が大きく、屋根も雪が入口方向へ落ちるようになっています。標茶はそれほど雪が多くないからでしょうか。

機関庫 中央の2線分は閉じられている 2022年9月撮影

この機関庫の前には転車台がありましたが、ほかの簡易軌道に見られる、自走客車が乗れるものではなく、機関車専用でした。

転車台を分岐器(ポイント)代わりに使うのも、殖民軌道時代からの「伝統」で、積雪が多くなければ、ピットから雪をかきだす苦労もあまりなかったでしょう。

新しい機関庫 2021年6月撮影
修理工場 2021年6月撮影

3.沼幌のいま

1/2.5万地形図「中久著呂」昭和43年修正測量に加筆 中オソベツにはデルタ線がある

支線の終点沼幌にも、停留所(待合室)と機関庫が残っています。
停留所のある場所は一段低くなっているため、道路からはよく見えず、そこへ向かう道もほぼヤブ化しています。

開運町方から望む沼幌停留所 左が待合所 右が機関庫 2022年9月撮影
同じ位置からの30年前の写真 1992年8月撮影

こちらは、使われなくなってから久しいようで、待合所はずいぶん荒れてきています。このまま朽ちていってしまうのは、なんとも惜しいと思います。

沼幌停留所の待合所 2021年6月撮影(タイトル写真も同じ)

機関庫は、まだしっかりしているようです。鶴居つるい村営軌道上幌呂かみほろろ別海べつかい村営軌道上風蓮かみふうれんのものとほぼ同じです。

機関庫 2021年6月撮影

停留所手前のヌマオロ川には、第4号橋梁も残っています。
銘板には「第3号橋梁」とありますが、第3号橋梁は1961年に開通した、開運町~標茶駅前の釧路川を渡る橋です(前回=第32回をご参照ください)。単なる製作工場の勘違いか、あるいは改番したのでしょうか。

第4号橋梁 2022年9月撮影
同銘板 第3号橋梁となっている 2022年9月撮影

1992年には橋のしばらく先までクルマも走れましたが、いまでは前後の築堤もヤブに埋もれています。

まだクルマが通行できた第4号橋梁 1992年8月撮影
橋の先の築堤 1992年8月撮影

4.オソベツ川の鉄橋

1/2.5万地形図「標茶」昭和43年修正測量に加筆

本線には、オソベツ川に架かる第2号橋梁があります。前後の築堤は農地化され、オソベツ川の流路が変わっているので、鉄橋だけが残っています。

オソベツ川の第2号橋梁 築堤はなく、橋台がむき出しになっている 2022年9月撮影

訪問時は、牛を襲い牧場関係者を震撼したヒグマ「OSO18」が話題になっていたころでした。まあ真っ昼間だし、人家からさほど離れていないところなので、大丈夫だろうと思っていましたが、いきなりタンチョウが飛び立つ音がして、ちょっと驚かされました。

近くにいたタンチョウ 2022年9月撮影
1/2.5万地形図「上オソツベツ」昭和45年修正測量に加筆
「オソベツ」は漢字で「御卒別」なので、今では漢字に引きずられ「オソツベツ」になっている

本線の終点、上オソベツには30年前からなにもなく、かつての写真にある民家(商店?)から、停留所の場所を推定するしかありませんでした。

現在はその建物もなく、さらに道路も変わっているため、いっそうわからなくなっています。

今回はこのへんで。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

ご意見・ご感想、そしてご要望など、どうぞお寄せください。

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