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北海道の廃線跡探訪 第87回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)(8/10) 置戸~訓子府間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第87回 池北線(北海道ちほく高原鉄道ふるさと銀河線)その8 置戸~訓子府間です。
平地を行くこの区間は、小鉄橋の橋台があるほかは、路盤が消失しているところも多くなります。
置戸では、銀河線当時の立派な駅舎が、いまも使われています。
これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.置戸
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置戸駅舎も銀河線時代の1996(平成8)年、コミュニティーセンターを併設した「ぽっぽ」に改築されている。
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現在でも正面には「おけとコミュニティーホール ぽっぽ」と掲げられ、入口やホーム側の旧改札口の上部には、「置戸駅」の表示も残っている。
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駅は市街中心部にあり、裏手の貯木場跡には、現在でも町の主力産業である林業にちなんだオケクラフト森林工芸館や、図書館・公民館が建ち並んでいる。森林や木工をイメージした凝ったデザインの建物が多いが、旧駅舎は比較的平凡な形をしている。
250mほど続いた線路は2線に分かれ、下りホームと同一面につくられた広場に突き当たって終わっている。
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広場には蒸気機関車の動輪をあしらったベンチが置かれ、その下には枕木が敷かれている。
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池北線で活躍した蒸気機関車C58形と思われる大きなタイル絵も描かれているが、全貌は「ぽっぽ」の2階や上空からでないと見えない。
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「ぽっぽ」の内部には銀河線を思わせるものはなく、2階にある置戸ぽっぽ絵画館にも、銀河線の資料は展示されていなかった。
3.置戸~境野
銀河線は、置戸から常呂川流域に沿った農村地帯を北見へ向かっていた。
道道986号の踏切跡までの旧駅構内には町営住宅が建ち並んでいる。
踏切跡からいったん道路化され、その先で路盤が現れる。
路盤はそれほど草がなく歩きやすいが、市街を抜けるとたちまちヤブとなる。
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常呂川を渡る学友橋近くの踏切跡から路盤を見ると、線路は敷かれたままで、生い茂った草の間に線路標識が残っているのが見えた。
この先には小橋梁があるはずなので、途中まで入ったものの、ヤブはますます濃くなり断念した。
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2022(令和4)年5月に再訪すると、草木が刈られ見通しが抜群によくなっていた。
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足元の線路内には伐採した後に残った切り株があり、それに足を引っかけるので意外に歩きづらい。
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念願の鉄橋(塗装表示には「綴川橋」とあった)や溝橋もあり、崖側には落石防止擁壁が連続している。
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111㎞の距離標の先で整備?は終わり、ヤブとなっている。ヤブとはいうものの、それほど濃くはなく、ひょろ長い木々と笹だけだから歩きやすい。
ほどなく線路はなくなり、すぐ横に常呂川の堤防道路が見えた。
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やがて路盤は道道50号北見置戸線と並行、北光川には橋台が残っている。
平地に出ると路盤は農地化されているが、一部は作業道となっているところもある。
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1955(昭和30)年8月仮乗降場として設置、1959年11月駅になった豊住の痕跡はまったくない。
同時に駅に昇格した、西訓子府・西富・穂波・広郷・北光社と同様、実質的には変わりがなかったから、跡形がないのもしかたがない。
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碧水川には北海道ちほく高原鉄道の銘板のある、新しいコンクリート橋が架かっていたが、前後の路盤は消えている。
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その先の愛の川にも、境野方の橋台だけが草に埋もれて残っているが、路盤はほどんど残っていない。
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4.境野~訓子府
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境野は駅舎のあったあたりを、常呂川を渡ってきた道路が貫通、「境野交流センターあぐり」や公民館も建てられているが、大半はだだっ広い駐車場となっている。
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豊住方の一角には記念碑が建てられ、駐車場の柵に枕木が使われていた(柵自体は新たに造ったもの)のが、鉄道駅跡らしさを感じさせる唯一のものだった。
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ちょうど来合わせた北見行き代替バスには、通勤通学時(8時)だからか、ここからも1人乗車した。とはいっても、乗客は全部で10人足らずだったが。
境野を出ると、峠下川に橋台が両側にある。その先の道道沿いには境野川橋梁の橋台・橋脚、すぐ先の初午川には橋台が残っている。
2020年9月には生い茂っていた草木がきれいに刈り払われ、路盤と橋台などがむき出しになっていたので、撤去工事中かと思ったが、2022年には路盤に苗木が植えられていた。
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2023年10月撮影
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西訓子府の手前の用水路にはコンクリート橋があるが、路盤はほとんど畑地になって消えてしまう。
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道道と並んだところで訓子府町に入り、1956年12月設置の仮乗降場出身の西訓子府の跡はまったくない。
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ここから銀河線は道道とぴったり並んでいる。
常呂川が近づいてくるあたりでは、路盤が幅広い空き地となっているところもあり、タンノメム川(並行する道路橋銘板には「常呂川支流」とある)にはレンガ造の橋台があった。
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豊住と同じ経緯の西富にも痕跡はなく、近くの紅葉川も護岸がきれいに直され橋の跡はない。
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平面化された道道跨線橋跡の先から路盤が現れ、訓子府市街に続いている。
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今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は訓子府から北光社へ向かいます。