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北海道の廃線跡探訪 第93回 白糠線(3/5)縫別~上茶路間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪 第93回 白糠しらぬかその3 縫別ぬいべつ上茶路かみちゃろです。

この区間も、茶路川にコンクリート桁の橋が数多くあるほか、白糠線では珍しいガーダーの鉄橋や白糠線最長(510m)の縫別トンネルがあります。
上茶路駅跡にはホームや線路も残っています。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.縫別~上茶路

1/5万地形図「上茶路」昭和48年編集に加筆

白糠線は、縫別から丘を上っていく国道と離れていく。
茶路川は大曲の地名のとおり、大きく南へ曲がっているが、白糠線は第5・6茶路川橋梁、縫別トンネル、第7茶路川橋梁で直進している。

第5茶路川橋梁の上茶路方は、築堤が崩され橋台がむき出しになり、ここから第6までの路盤は畑地などになっている。

①第5茶路川橋梁 コンクリート桁8連 2024年6月撮影

第6茶路川橋梁はガーダー橋で、やはり緑の風景のなかでは、赤い鉄橋はコンクリート橋より一段と映える。

②第6茶路川橋梁 ガーダー5連 2024年6月撮影

縫別トンネルは牧草地の奥にあり、やはり鉄網に囲まれたなかに姿を見せていた。

③鉄網越しに見る縫別トンネルの縫別方ポータル 2017年9月撮影

上茶路方は地形図で確認すると、牧場の奥らしく、出入口の道路には家畜伝染病予防の薬品が撒かれ、立ち入りできない。

しかたなく、国道から丘を越え、路盤を目指す。
丘はそれほどのヤブではなく、エゾシカの通り道なのか、踏み分け道のようなところもあり、縫別トンネルの上茶路方ポータルの上に出られた。

④縫別トンネルの上茶路方ポータルの上から路盤を望む 2024年6月撮影

トンネルはかつて倉庫かなにかに使われていたらしい。路盤もヤブではないが、あまりクルマが通ったようすでもない。

④縫別トンネルの上茶路方ポータルと雪崩防止擁壁 2024年6月撮影
④縫別トンネルから上茶路方を望む 2024年6月撮影

トンネルを抜けると、第7茶路川橋梁があり、南大曲をまわってきた道路の観渓橋から見渡せる(地形図に加筆した黒線の道路)。

⑤第7茶路川橋梁 ガーダーとコンクリート桁の10連 右が上茶路方 2024年6月撮影

川原に下りてみると、上茶路方はコンクリート桁になっており、ガーダーとコンクリート桁の複合橋であることがわかる。

⑤同 上茶路方のコンクリート桁 2017年9月撮影

道路橋から反対側を見ると、上茶路へ向かう路盤が牧草地のなかを一直線に横切っていた。

⑥道路橋から上茶路方の路盤を望む 2017年8月撮影
1/5万地形図「上茶路」昭和48年編集に加筆

白糠線は、第8茶路川橋梁を渡り、再び国道と並んでくる

⑦第8茶路川橋梁 2024年6月撮影
⑦同 ここもコンクリート桁6連だが全景はとりづらい 2024年6月撮影

国道と並行するところでは、ヤマト川などにも橋が残っているのが見える

⑧ヤマト川に残る第1千代川橋梁 2017年8月撮影
⑨国道から見える小さなコンクリート橋 2017年8月撮影

道東自動車道の高架橋をくぐると、第9茶路川橋梁となる。ここは縫別方の築堤が崩され、橋台がむき出しになっていた。おそらく道東自動車道の工事用道路建設のためと思われるが、この道路を通って橋に近づくことができる。

⑩第9茶路川橋梁 コンクリート桁7連 上茶路方に大木が引っかかっている 2017年8月撮影

カマダ川に架かる出合川橋梁前後の路盤は、それほどヤブが濃くなかった。

⑪出合川橋梁 2017年9月撮影
⑪出合川橋梁から上茶路方を望む 2017年9月撮影

白糠線は、第10茶路川橋梁で国道と茶路川を一気に跨ぎ北側に出ていたが、2021年に架道橋部分は撤去されている

⑫国道を跨ぐ第10茶路川橋梁 コンクリート桁13連 上茶路方から望む 2017年9月撮影
⑫撤去された架道橋部分 上写真とほぼ同位置 2024年6月撮影
⑬第10茶路川橋梁 2024年6月撮影(タイトル写真も同じ)

橋を渡った路盤は、新しい道路のため改変されているが、国道に出る手前は道路に転用されている。

⑭国道踏切跡から縫別方の路盤転用道を望む 2017年9月撮影

国道踏切跡の上茶路方には踏切の予備遮断竿入れが残っていたが、路盤はヤブ。ここを過ぎるとほどなく上茶路構内となる。

3.上茶路

上茶路から7㎞ほどシュウトナイ川沿いを入った、雄別ゆうべつ炭鉱上茶路礦の石炭は、トラックで搬出され、上茶路で石炭車へ積み替えていた

白糠線のなかで駅舎があるのも上茶路だけで、旅客・貨物とも扱う唯一の一般駅かつ有人駅だった。
上茶路市街は、小規模ながらも炭鉱住宅もある、白糠線沿線随一の集落となっていた。

以前訪れたときには、荒れ果てたコンクリート造の駅舎やホームとともに、軌道自転車のコースにしたため両端が急曲線で結ばれた線路も、草に覆われたまま放置されていた。

いまでも、駅舎こそないが、旅客ホームや貨物ホーム、駅名標の枠、信号機などが残り、線路も一部を除き敷かれたままになっている

⑮荒れ果てたものの残っていた上茶路駅舎 1985年9月撮影
⑮旅客ホーム 2024年6月撮影
⑮貨物ホーム 2024年6月撮影
⑮縫別方に残る出発信号機 横を向けられている 2024年6月撮影

かつての駅前通りは林道と見分けがつかず、かろうじて道路標識「道道665号上茶路上茶路(停)線」があるので、それとわかるほどの変わりようだった。

⑮元の上茶路駅前通り 2017年8月撮影

市街に残っていた炭住もことごとく姿を消し、白糠町青少年旅行村がある以外、民家は数軒しかない。

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださりありがとうございました。

次回は、上茶路から下北進しもほくしん向かいます。

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