北海道の廃線跡探訪 第60回 相生線(2/3)上美幌~布川間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第59回 相生線美幌~北見相生その1 上美幌~布川間です。
相生線は、国道240号とつかずはなれず、沿線最大の町、津別へと南下していきます。
この区間の路盤はほとんど消えていますが、豊幌川などに橋台が残っています。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.上美幌~津別
上美幌を出ると、路盤は構内はずれの四十線道路から再び農地化され、しばらく痕跡はなくなる。
豊幌仮乗降場は、駅前にあった大きな木が残り、公民館が建っているだけで、路盤もろとも消えていた。
豊幌からも、豊幌川や小沼沢川に橋台を残すだけで、路盤はなくなっている。
豊幌川の先で津別町に入ると、西側に網走川が近づいてくる。
活汲も部分開業時に設置され、かつては交換可能だったが、今はまったく痕跡がない。
舗装された駅前通りが農地化された旧駅構内に突き当たっているのが、唯一の名残だった。
活汲の先で国道と少し並行、シンケピホロ川にも橋台があったが、路盤はほとんど消えている。
1956(昭和31)年5月、大昭・開拓と同時に設置された、達美仮乗降場の跡もまったくない。
津別市街手前の国道跨線橋も平面化され、前後の路盤もさだかでなくなっていた。
部分開業時に終着駅がおかれた津別は、相生線沿線随一の町で、今でも市街の中心部に大きな木材関係の工場や森林管理署(元の営林署)もある。
しかし、かつては1万5,000人以上だった人口は、2024年現在4,000人近くに減っている。
相生線代替バスも津別で区切られ、北見~美幌~津別間の北見バスと津別~北見相生間の津別町営バスとなっていた。
北見バスは赤字経営が続き、新会社北海道北見バスを設立、津別町営バスも2012(平成24)年9月限り廃止、スクールバス混乗(無料)の津別まちバスとなっている。
元の津別駅構内はほとんど宅地化され、駅前通りも反対側に貫通、木材会社の工場や貯木場、駅前旅館だった建物に面影を残すだけになっている。
達美方の貯木場の一隅に腕木式の場内信号機があるのが、唯一の面影といえる。
3.津別~布川
路盤は、踏切があったため不自然に曲がった道路から姿を現す。クルマや製材工場の原木が置かれているが、道道27号までの短い区間は草が刈られていた。
道道とクロスした先でゆるくカーブ、津別川の手前は築堤となっている。津別川まで築堤を歩いていくと、高校前方の橋台が見えた。
高校前仮乗降場も宅地化され、跡形はない。
ここからも路盤もほぼ消えているが、国道に並行するところでは、ヤブとなった低い築堤がわずかに確認できた。
線の沢川にもコンクリートの橋台が残っている。
設置時は仮乗降場だった恩根は、1956年9月駅に昇格したが、実態は変わらなかった。
今では国道から舗装された短い取付道路があるだけで、路盤を含め跡形もなくなっている。
恩根を出るとすぐオンネキキン川を渡る。前後の路盤も消失しているので、川原に下りてみたが、橋の跡はきれいになくなっていた。
本岐までの路盤もほとんどが畑となっている。
本岐は本岐パークゴルフ場となり、駅の面影はない。
ただ、駅前通りの国道角にある昔ながらの商店や駅前広場が、かつての駅の存在を思わせた。
本岐の先で路盤は国道に取りこまれ、ホンキキン川の橋もちょうど道路橋のためか痕跡はなくなっている。
国道から先は、一直線に延びる町道の西側にぴったり並んでいたはずだが、ここにも路盤跡はなく、1956年5月開拓と同時に設置された、大昭仮乗降場の跡もない。
大昭の先から布川手前までは国道と並んで南下、途中の川に橋台があった。
開拓仮乗降場も一面の畑地に埋もれ、舗装された取付道路とバス停の存在でかろうじてわかるほどだった。
布川の手前の国道踏切跡も、道路の直線化でなくなっている。
1947年2月設置、恩根と同時に昇格した布川も農地のなかに消え、やはり舗装された取付道路とバス停だけになっている。
バス停に時刻表はなく、停留所名さえ読めなくなっていたが、津別まちバスはフリー乗降かつ予約制で、町民以外の利用は考慮していないから、これでもいいのだろう。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は布川からへ終点北見相生へ向かいます。