北海道の廃線跡探訪 第5回 天北線(5/10)浜頓別~浅茅野間
1.はじめに
ご訪問ありがとうございます。北海道の廃線跡探訪 天北線の第5回です。
今回は浜頓別から猿払まで「北オホーツクサイクリングロード」となった天北線をたどります。
ただ、2023年現在、浜頓別町内のクッチャロ大橋~猿払村界は当面の間通行止めとされ、猿払村内では事実上放置状態になっているのが残念です。
なお、これからの投稿予定路線などは、下記記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.浜頓別
市街地西端にあった駅は興浜北線の分岐駅でもあった。
駅跡には大きなバスターミナル(2階は浜頓別町立図書館)や立派な町役場庁舎が建っていたが、バスターミナルは、2019(令和元)年旧駅前通り(大通)反対側にできた、道の駅「北オホーツクはまとんべつ」へ併設された。
旧バスターミナルと比べコンパクトになったのは、やはり利用者の減少を示しているのだろう。旧バスターミナルは全館が図書館になっている。
旧駅前通りも駅の西側まで貫通し、駅を思わせるものは常盤方にある倉庫群くらいしかない。
浜頓別町の人口は天北線廃止時から2,000人以上減り、2023年4月現在3,500人を切っているが、それでも旧沿線随一の街である。
3.浜頓別~山軽
駅跡の公園北端から、天北線の路盤は「北オホーツクサイクリングロード」となる。
入口には大きな案内板があり、猿払までの途中駅?として山軽・浅茅野が描かれているが、天北線に関する説明は一切ない。
猿払~芦野間は一般道として描かれ、芦野~鬼志別間は自転車道路予定線?になっている。猿払まで21.3㎞の開通は1994(平成6)年10月とあった。
路盤はアスファルト舗装されているが、鉄道線路の雰囲気は色濃く残っている。
三井の沢川の橋は架け替えられ、コンクリートの幅の広い橋になっており、銘板には平成5年11月完成とあった。
クッチャロ湖からクッチャロ川が出るところに架かる屈斜路川橋梁は、「クッチャロ大橋」と名前は変わっているが、ガーダー4連の橋がそのまま転用されている。
浜頓別と山軽の中間くらいにある築紫川にも、Iビームを使った橋があり、橋台のようすから、おそらく鉄道橋の転用と思える。
4.山軽
山軽はちょうどクッチャロ湖の大沼と小沼の接続点の東にあたる。
国道から未舗装道を行くと、サイクリングロードと交叉する手前に、踏切を示す道路標識が錆びついたまま突っ立っていた。
駅への取付道路は草で覆われ、一面草原となったかつての駅前広場には廃車の自動車が放置されていた。
駅跡のあたりにはまったく人家がなく、その昔、列車交換可能な有人駅だったとはとても思えない。
晩年に従来の駅舎を取り壊し、乗降客数に応じた規模となった待合室は、サイクリングロード休憩所に転用された。
しかし2012年でも、窓や戸はすべてなくなり、床は抜けかけ、朽ち果てるにまかせていた。
2017年再訪したときには、湖側の壁すらなくなっていた安別方の1棟は倒潰していた。
2012年には、駅名を知っていれば何とか文字が想像できた駅名標も、2017年には、もはや判読不可能となっており、全面錆におおわれた、ただの鉄板と化していた。
さらに、2023(令和5)年6月に訪れたときには、外れて落ちていた。
実に廃線跡にふさわしい情景ともいえるが、サイクリングロードの設備としてはもはや使命を終えている。
それでも手入れはされているのか、ホーム上の草も背丈は短く、路面も比較的よい状態だった。
5.安別
国道からクッチャロ湖(小沼)とポン沼の間を通る道路沿いにあった安別は、1956(昭和31)年11月設置の仮乗降場からJRになって昇格した駅。
ブロック造りの待合室と「安別通信中継機室」と扉に書かれた建物が残っている。このあたりのサイクリングロードはヤブ化していない。
休憩所に転用されていた待合室は、出入口の戸は外れて地面に倒れ、まわりはヤブ化しており、とても入れるような状態ではない。
6.飛行場前~浅茅野
飛行場前の手前で猿払村に入る。ここも上駒と同じ経緯の駅で、「飛行場前」の駅名は戦時中の軍用飛行場に由来する。
仮乗降場設置時にはもちろん飛行場はなかったが、近くの国道238号にあるバス停も、いまだに「飛行場前」を名乗っている。
駅跡には「朝礼台」ホームが半壊状態ながらも残り、枠だけになった駅名標もある。
サイクリングロードには、「店と電話←0.1㎞」という標識もあり、かなり充実した設備だったことがうかがえるが、今では店はおろか公衆電話さえなくなってしまった。
2019(令和元)年5月には、サイクリングロードは「熊出没注意 通行止め」の看板が設置され、少し荒れてみえた。
2023年6月には、浅茅野方は路面が見えなくなるほど、両側からササが生長していた。
浅茅野が近くなると、サイクリングロードはそれほどヒドい状態ではなく、散歩している人も見かけた。
浅茅野の手前にある、Iビーム2連の新開川橋梁はそのまま転用されている。
7.浅茅野
2012年8月には真夏でもあり、浅茅野のホームはほとんど見えないほど草に覆われていた。
2023年5月に訪れると、草刈りがされ、駅名標が復元されていた。
よくあるアクリル板にカッティングシートという安直なものではなく、鉄板に文字を塗装した本格的なものだった。
元の駅入口には「浅茅野駅→」という標識も設置され、今でも駅があるかのような錯覚におそわれる。
今回はここまでです。最後までお読みくださり、ありがとうございました。
次回は浅茅野から猿払・鬼志別を経て小石へ向かいます。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?