北海道の廃線跡探訪 第21回 歌志内線(2/2) 西歌~歌志内間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第21回 歌志内線の2回目 西歌~歌志内間です。
路盤はあいかわらずサイクリングロードですが、旧歌志内駅近くには郷土館や炭鉱関係の見どころもあります。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.西歌~神威
道道114号の踏切があったところも道路が直線化され、サイクリングロードは道道の北側に移る。
丘上には住友歌志内炭鉱の跡地を利用したチロルの湯があり、観光客で賑わっている。いわゆるバブル経済期に、カナダだ、ドイツだ、フランスだと、北海道でも流行したリゾート施設(歌志内はスイス)だが、今でも営業しているところは少ない。
ここは温泉ブームにも乗り、市街地ということもあり、主要幹線道路に面していないのに健闘している。
サイクリングロードを挟んだ反対側には、道の駅「うたしないチロルの湯」もできている。
1896(明治29)年10月開業、歌志内に次ぐ歴史のある神威は、今では駅や鉄道を思わせるものはまったくない。
歌志内線廃止後の2013(平成25)年に建てられた「鎮火安全祈願」と書かれた立派な石碑があるだけだが、ここにも復元駅名標が設置されている。
3.歌神~歌志内
1960(昭和35)年12月設置された歌神は、瀟洒な便所が建っているだけで痕跡なし。
駅附近の団地も新しく建て替えられているものもあり、ここでも歌志内線を偲ばせるのは復元駅名標だけである。
終点手前の水路には函渠があるが、用水路を改修していなければ、歌志内線のものかもしれない。
サイクリングロードは市役所の前あたりまでで終わり、路盤は一般道路となる。
一般道路となった路盤は、歌志内に近づくにつれて急に下がり、駅構内手前にあった架道橋もなくなっている。この神歌第8架道橋(本町ガード)は道路とのクリアランスが3mあまりと低かったためか、廃止直後に撤去され、前後の築堤もなくなっている(神歌第8架道橋の写真は、この後の「うたしない炭鉱(ヤマ)の記憶」紹介写真にあります)。
4.歌志内
歌志内は広かった駅構内に新しい建物がつくられ、「チロル」ということから山小屋風のデザインが多い。
元の駅舎や駅前広場には歌志内郵便局が建ち、駅舎横の駐車場だった場所には、歌志内市消防本部や郷土館「ゆめつむぎ」が建っている。
郷土館は炭鉱関係が中心だが、入口正面にある駅名標のほか、歌志内線関係の資料も展示されている。
館内には歌志内線末期の車窓ビデオ(試作版。約10分)もあり、自由に鑑賞できる。
郷土館では「うたしない炭鉱(ヤマ)の記憶」という写真集も販売している(A4版160ページ 1000円)。歌志内線各駅の写真(全部で7ページ)もあり、鉄道や炭鉱に興味のある人はご覧ください。
かつて駅舎(改札口)とホームは同一平面だったはずだが、今は旧構内へは階段で下りるようになっている。
おそらく本町ガードの歌神方から急に地面が下がっていることからも、旧構内を整地したのだろう。
ここにも2022年に復元された駅名標があるが、やはり郷土館にある実物のほうが風格がある。
歌志内から歌志内空知炭鉱まで専用線が延びていたが、その痕跡もほとんどない。
専用線の終点だった選炭場や坑木土場附近も埋められ、炭鉱施設は竪坑櫓と事務所などが残っているだけとなった。
この竪坑櫓は覆いがあるので、単なるビルにしか見えないが、歌志内空知炭鉱の大きなマークが今でも掲げられている。
旧住友上歌志内礦の職員福利厚生施設(映画館)で、テレビドラマ「昨日、悲別で」に登場した「悲別ロマン座」や旧北炭空知炭礦倶楽部「こもれびの杜倶楽部」などの炭鉱関係遺産も知られている。
1958(昭和33)年市制施行した歌志内市の人口は最盛期には46,000人を数えたが、炭鉱閉山により大幅に減少、日本一人口の少ない市としても知られ、2021(令和3)年ついに3,000人を割りこんでしまった。
それでも歌志内市は、函館本線沿線から、赤平・芦別方面への近道として利用するクルマも多く、道の駅や温泉もあるからまだ恵まれているといえる。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は歌志内線と同じ砂川から分岐していた、函館本線支線上砂川支線です。
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