
北海道の廃線跡探訪 第36回 名寄本線(5/7)渚滑~小向間
1.ごあいさつ
ご訪問ありがとうございます。
北海道の廃線跡探訪第36回 名寄本線名寄~遠軽間その5 渚滑~小向間です。
名寄本線は、元紋別から少しずつオホーツク海から離れていきます。
紋別空港から先は、路盤を転用して国道238号がつけかえられるので、大幅に変わることが予想されます。
国道沿いに藻別川橋梁や円野川橋梁などのガーダー橋が残っています。
駅舎や車輌はありませんが、旧小向小学校跡地に弘道駅舎(待合室)が移築保存されていました(今は放置状態)。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.渚滑~紋別

名寄本線は渚滑を出ると、すぐ新しい国道238号をくぐり、渚滑元新川の流路変更により取り残された橋台がある。

つけ替えられた川の先で、路盤は太陽光発電のソーラーパネルへの管理通路となっていたが、ゲートがあり入れない。
路盤は工場や住宅地の裏のヤブになっているのが、並行する国道から見える。
紋別市街に入ると、ところどころ建物もあるが、道路に挟まれた空き地となっている。

1959年11月設置の潮見町駅はなにもなく、錆びた柵が放置されていた。

しばらくすると路盤は消え、紋別駅に入るが、元の構内にはスーパーやバスターミナルが建ち、まったく面影がない。

スーパーの壁面に駅名標が再現されているのと、蒸気機関車の動輪を模した駅跡を示す解説板があるのが唯一の証しとなっている。

紋別市は名寄市以外で名寄本線沿線最大の街、かつ唯一の市であり、廃止時にも人口3万人を超えていた(2024年1月では2万200人余)から、中心部の駅跡や路盤が消失してしまうのは無理からぬことであろう。
3.紋別~一本松

紋別を出た路盤は道路化(メモリアル通り)されているが、南が丘町附近の急坂では路盤がそのまま放置されている。

路盤は、メモリアル通りが道道305号丸瀬布紋別線(旧国道)と合流するところでヤブとなって復活、築堤が道道と並行する区間の元丘川には小アーチ橋があるが、道路反対側でしか見えない。
その先は国道238号バイパスのため路盤は消失、藻鼈川を渡る築堤まではっきりとは確認できない。藻鼈川には藻別川橋梁の痕跡はなく、その先で元紋別構内となる。

元紋別は駅に突き当たっていた道が直線化され、元の構内が分断されている。紋別方は公園となり、一本松方には北紋バスの本社が建っている。

元紋別を出ると、またまたソーラーパネルが大規模に設置されており、築堤も崩されている。
道路とクロスした先は少しの間、廃線跡らしい道になっていたが、やがてヤブに覆われている。

元紋別と一本松の間にはオホーツク紋別空港ができている。
国道と空港との間に残る路盤には、コンクリートの溝橋が残り、国道からもいくつか見える。

4.一本松~小向

1955年12月設置の仮乗降場で、JR昇格組だった一本松もただのヤブになり、古枕木の柵のようなものしかなかった。

一本松から小向の間も路盤も、舗装道路に踏切跡があるだけで、防雪林に沿ったヤブになっており、ヤッシュシナイ川にもなにもない。
このあたりから沼の上の先まで、国道238号紋別防雪事業として名寄本線の防雪林を利用する工事が進められている。

路盤はすべて道路に転用されるわけではなく、防雪林を挟んで路盤と反対側に道路が新設されるところもあるが、数年後には大きく変貌してしまうだろう。

近くにあるコムケトー(コムケ湖)から名づけられた小向は、小向農村公園となっている。
公園の名称板は切符を模している。
大きな施設案内板には、小向駅開業と名寄本線廃止の年月日が、下方に小さく書かれているだけだった。廃止年月日はここでも最終営業日となっている。

2016年9月撮影
東屋の近くには、模造の駅名標があり、信号テコも保存されている。

裏手には小向小学校があるが、昨年度(今年3月31日)で閉校している。
路盤転用の新国道は、さすがに小学校の真ん前を通るわけにはいかなかったとみえ、小向農村公園を避けている。
2007年(平成19)年に移転前の小向小学校の運動場跡地には、弘道の待合室が移築されている。
道路から見たときは、ただの用具小屋だと思ったが、よく見ると駅名標のようなものが掲げられている。
ヤブこぎして近づいてみると、「弘道乗降場 平成2年6月27日移転」とある。廃線後の施設撤去作業の際に移築保存されたのだろう。
待合室は扉が片方失われている以外、状態はさほど悪くなく、2023年10月にも確認できたが、確実に傷みは進んでいる。

2016年9月撮影 (タイトル写真は2020年10月撮影)
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は小向からへ中湧別・湧別へ向かいます。