北海道の廃線跡探訪 第50回 松前線(4/4)渡島吉岡~松前間
1.ごあいさつ
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北海道の廃線跡探訪第50回 松前線木古内~松前間その4 渡島吉岡~松前間です。
なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。
2.渡島吉岡~渡島大沢
渡島吉岡を出た路盤は道路の南側へ移り、しばらく温泉施設や集合住宅のために消えているが、吉岡川の手前から姿を現し、吉岡川にも橋台が残っている。
築堤となった路盤は、作業道のようになっているところもあり、松前線最長2,948mの白神トンネルへ向かうが、やがて採石現場へと入って行く。
構内は立入禁止なので、通りかかったダンプカーの運転手氏に頼んで入れてもらった。
トンネルは採石場の門から5分ほど歩いた山裾にひっそりと残っており、その手前にはトンネル工事殉職者の慰霊碑もある。
松前線は白神トンネルであっさり松前湾側へ抜けているが、国道は白神岬のある海岸に沿って大きく迂回している。
白神トンネルを改築して道路に転用すればいいのにとも思うが、国道もトンネルや覆道の多い立派な道路である。
白神トンネルを出た松前線は松前町に入り、スズキノ沢川の谷を下っていたので、そこを行く林道を遡る。
丘のかなり高いところに路盤が確認でき、つづいて大規模な落石覆いが、やがてトンネルポータルが向かい合っているのが見えた。
白神トンネルに続いて美山・荒谷トンネルの順だから、見えたポータルの上流側が白神トンネルということはないはず。反対側を確認すべくさらに林道を進むと路盤は見えなくなってしまった。
こうなったら路盤に上って確かめるしかないと覚悟を決めて、ヤブがあまり深くないところから、見当をつけた方角へ分け入ってみた。すると松前線の管理用通路跡なのか少しだけヤブがまばらになった斜路があり、そこから築堤に上ることができた。
ようやく上った路盤はササに覆われ、上流・下流側にそれぞれトンネルが見えた。上流側がまさしく白神トンネルのポータルにちがいなく、林道から見えた最奥のトンネルはやはり美山トンネルだった。
美山トンネルと荒谷トンネルの間の路盤には、林道から勾配標らしきものが立っているのが見える。
上がってみると、ササが密生しているが、朽ちかけて片方がなくなった25‰を示す勾配標や「1958-1」と建築年月が刻まれた落石除けが残っていた。
遠くに松前湾が望まれる景色はすばらしいが、急勾配や長大トンネルに挑む蒸気機関車時代の乗務員の苦闘も偲ばれる。
海岸に向かいゆるやかな曲線で直角に曲がると荒谷川橋梁がある。ここには両側の橋台と高い3本の橋脚が残っているが、廃止後も一部残っていたガーダーはすべて撤去されていた。
橋を渡るとほどなく渡島大沢で、高台の静かな住宅地の一隅にあり、ヤブのなかにホームが残っている。石造りの立派なホームで、7年足らずとはいえ終着駅だったことを感じさせた。
3.渡島大沢~松前
渡島大沢を出ると、かなり高い所を国道と並行するようになる。
ヒジノ下川に架かる櫃ノ下橋梁も、荒谷川橋梁と同じような形をしていたが、ここも一部が残っていたガーダーは撤去され、橋台と橋脚だけになっている。
大沢川橋梁と寺沢川を渡る神社川橋梁も、集落のなかの築堤と橋台だけになっているが、見事な石積みの擁壁が見られる。
集落のどまんなか、それも高いとはいっても10m足らずの頭上を鉄橋が横切っているのは、さぞかしうっとうしかったことだろう。現役時代は列車が通るたびに轟音が響いていたにちがいない。
この先は国道から離れ、丘のなかに路盤が続いているが、再び海岸に出るところに及部があった。
及部も白符と同時に開業した旅客専用駅だったが、今では位置さえ定かでないほどになっている。
及部を出ると道道607号まで路盤は放置されているが、その先にある及部川橋梁の痕跡はなく、そこから広い舗装道路になっている。
道路は松前城のある丘の手前で終わり、丘の中腹にあったはずの、市街地を跨ぐ大松前川橋梁の橋台や、松前トンネルの及部方ポータルもなくなっている。
トンネルを抜けた直後の架道橋と湯殿沢橋梁もなく、その先は立派な道路となっている。まわりの環境に配慮したのか、石積のような形で丁寧に塞がれた松前トンネルのポータルだけが残っていた。
松前駅構内直前の唐津内沢川橋梁も道路化で痕跡はない。
4.松前
松前はかつて福山といわれ、北海道唯一の城下町として知られている。商店や住宅が密集するなかを曲がりくねった幅の狭い道路が通る、北海道では珍しい町並みでもあり、駅は東西に細長い市街地北側の高台にあった。
駅前には観光案内板ででもあったのか、大きなコンクリート製の掲示板と自警団の器具置場となった、元の観光案内所もある。
元の駅構内は道路や宅地となっているが、ホーム擁壁の一部が桜並木のなかに残っていた。
駅舎のあったあたりには、廃止前の1978年5月建てられた「北海道最南端の町 松前駅」と書かれた石碑が残され、記念碑的存在となっている。
春には路盤を転用した道路が見事な桜並木となり、格好の駐車場となった駅前広場に出入りするクルマや観光客で賑わうが、普段は静けさにつつまれている。
石碑だけが松前駅があったことを物語っているようだった。
今回はここまでです。
おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。
次回は美幸線です。