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北海道の廃線跡探訪 第67回 瀬棚線(3/3)今金~瀬棚間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます

北海道の廃線跡探訪第67回 瀬棚せたな国縫くんぬい~瀬棚間 その3 今金いまがね~瀬棚間です。

この区間は、クルマでも走れる未舗装道になっているところもあります。
北檜山きたひやま駅舎はバスターミナルに転用されていますが、瀬棚駅跡には記念碑などのモニュメントしかありません。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.今金~北檜山

1/5万地形図「今金」昭和47年編集「瀬棚」昭和54年第2回編集に加筆

瀬棚線の路盤を転用した遊歩道「オランダ通り」は、今金市街の西端、道道936号との踏切跡で終わり、途中にあったチプタウシナイ橋梁は架け替えられている

①遊歩道の橋「オランダ橋」に掛け替えられたチプタウシナイ橋梁 2023年10月撮影

道道踏切跡から200mほど舗装道路になった路盤は、トマンケシナイ川の手前では未舗装道になっている。

トマンケシ川橋梁(川名とはちがっているが、「ナイ」はアイヌ語で「川」の意味だから、橋名のほうが理にかなっている)も痕跡はないが、対岸からは一直線に路盤が延びていた。

②トマンケシナイ川の先、神丘に向かう路盤 2013年10月撮影

神丘の手前から再び路盤は作業道として使われ、1961(昭和36)年4月設置された神丘も、ホーム跡の土盛りと樹木により確認できる

③丹羽方から駅跡を望む 右側の土盛りがホーム跡 2023年10月撮影

神丘の先のチョポシナイ川には第3チョポシナイ川橋梁の跡はなく、道道936号とクロスする。

瀬棚線は再び道道とクロスする手前で利別目名川を渡り、この目名川橋梁の痕跡はないが、踏切跡近くの目名古川橋梁には橋台が残っていた
ここから、せたな町北檜山区(旧北檜山町)に入る。

④利別目名古川橋梁の橋台 2015年5月撮影

踏切跡から丹羽方の路盤は農地化され消えるが、再び道道と並行するあたりからヤブとなって姿を現し、檜山北高校の南側まで続いている。

丹羽には駅自体の跡はなく、駅前通りも南側まで貫通している。
しかし、駅前通りとまわりの倉庫群に面影を残し、空き地となった元の構内の一隅に37.5㎞を示すコンクリート製の距離標が建っている

⑤丹羽駅跡 神丘方を望む 2013年10月撮影
⑤丹羽駅跡に残る距離標 2023年10月撮影

構内の北檜山方は丹羽多目的保安林となり、路盤はなくなっているが、水路を渡る頑丈なコンクリート造の橋の前後だけはきれいに残っていた

⑥丹羽の先にあるコンクリート橋 2015年5月撮影
1/5万地形図「瀬棚」昭和54年第2回編集に加筆

保安林を抜けた路盤は冷水川まで用水路に沿った砂利道になっているが、冷水川橋梁と下の沢川を渡る下沢川橋梁の跡はない

やがて国道と並んだ路盤は一部が作業道として使われ、用水路には橋台が残っていた

⑦用水路に残る橋台 2013年10月撮影

国道と離れた路盤は、北檜山市街の東端から北檜山駅構内手前まで小道となっている。

1966年10月1日東瀬棚から改称された北檜山は駅舎が函館バス北檜山ターミナルとして再利用されている

⑧函館バスのターミナルとなった北檜山駅舎 2017年5月撮影

外観や内部の切符売り場や待合室などは駅当時とあまり変化がないように思えるが、ホーム側はホームと同一面に埋められている。

⑧旧北檜山駅構内 瀬棚方を望む 2023年10月撮影(タイトル写真も同じ)

戦後に新築された近代的な駅舎だからあまり面白味はないが、瀬棚線跡に残る唯一の駅舎であり、広尾線広尾駅舎亡き後、北海道内の廃止地方交通線でバスターミナルとして使われている唯一の旧駅舎となっている。

3.北檜山~瀬棚

1/5万地形図「瀬棚」昭和54年第2回編集に加筆

北檜山を出ると、整備された路盤が真駒内川の堤防道まで続いているが、真駒内川橋梁の跡はまったくない

⑨真駒内川の堤防道から旧駅構内へ続く路盤を望む 2023年10月撮影

橋の先も路盤はほとんどが未舗装道となり、道道740号の踏切跡の先に、コンクリートの橋が残っている

⑩道道踏切跡の先にあるコンクリート橋 2015年5月撮影

水路に沿いに続く路盤は、作業道として整備途中なのか、砂利が敷きつめられていたが、通行禁止となっていた。

⑩砂利が敷いてある区間 2017年5月撮影

海岸が近づくと、路盤も砂に埋もれるようになってくるが、クルマでも走れる未舗装道になっているところもある

⑪未舗装道となっている区間 2015年5月撮影

南川集落のあたりから住宅裏の築堤となり、斜面はきれいに草が刈られ、一見、整備されているように見えるが、路盤はヤブでほとんど歩けない。

⑫南川北方の築堤の上 瀬棚方を望む 2015年5月撮影

最内川もないがわに架かる最内川橋梁は、北檜山方に高い橋台が残るが、瀬棚方は整地されたのか、路盤もさだかではなく、橋台も確認できなかった。

⑬最内川橋梁の北檜山方橋台 2015年5月撮影

瀬棚の旧構内には、瀬棚総合福祉センターや町立国保病院瀬棚診療所が建ち、駅の面影はない

ただ、駐車場の一角に、瀬棚線全駅と沿革が刻まれた記念碑とともに、駅名標・距離標がモニュメントとして置かれている

⑭瀬棚駅跡 道路の向こうに瀬棚名物「三本杉岩」が小さく見える 2015年5月撮影
⑭旧国鉄瀬棚駅跡地記念碑 2023年10月撮影

駅名標は形や字体などが異なり、新たにつくられたものだが、48㎞を示すコンクリート製の距離標は構内にあった実物らしく、瀬棚駅をわずかに偲ぶことができる

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は標津線です。

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