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北海道の廃線跡探訪 第38回 名寄本線(7/7)中湧別~遠軽間


1.ごあいさつ

ご訪問ありがとうございます。

北海道の廃線跡探訪第38回 名寄本線名寄~遠軽えんがるその7 中湧別なかゆうべつ~遠軽間です。

中湧別で90度曲がった名寄本線は、湧別川をさかのぼるように内陸部へ向かい、遠軽へ達していました。
この区間は、道路化されているところ、放置されているところなどさまざまですが、残っている駅舎はなく、保存車輌もありません。

なお、これからの投稿予定路線などは、初回記事にありますので、そちらをご覧ください。

2.中湧別~共進きょうしん

1/5万地形図「中湧別」「遠軽」ともに昭和51年修正に加筆

名寄本線は湧別方と同様、中湧別から一直線に上湧別へ向かう。こちらも構内を出ると北湧ほくゆうまで、立派な舗装道路となっている

①舗装道路となった区間 北湧方を望む 2016年9月撮影

1966(昭和41)年10月仮乗降場として設置、JR発足時に昇格した北湧も、「湧別町立郷土博物館 ふるさと館JRY」西側の駐車場となっている

②北湧駅跡より中湧別方を望む 2016年9月撮影

北湧から路盤はいったん農地となるが、すぐ道路に変わり、上湧別手前まで続いている。
上湧別は駅前の大きな木がそのまま残っているだけで、旧構内には農業施設などが建っている。

旧上湧別駅前の大木 2016年9月撮影
上湧別駅跡から北湧方を望む 右の道路が路盤転用道路 2016年9月撮影

上湧別からも路盤は舗装道路となっているが、未舗装の作業道に変わった後、農地化されている。用水路の橋も道路化のため架け替えられていた。

④作業道となっている区間 2016年9月撮影

1955年12月一区中通いっくなかどおり仮乗降場として設置、1959年11月昇格と同時に改称された共進は、農場の一角の空き地となっていた

⑤共進駅跡 2016年9月撮影

3.共進~遠軽

1/5万地形図「遠軽」昭和51年修正に加筆

共進から路盤は、共進川に沿った作業道となっているところもあるが、衛生センターの手前から舗装道路に変わる。
やがて急勾配となる道路とわかれ、路盤はヤブとなって湧別川へ向かっていた。

⑥作業道となっている区間 開盛方を望む 2016年9月撮影

第2湧別川橋梁にも跡はなく、低くされた開盛方の築堤が残っているだけで、その先も農地化で路盤は消えている。

湧別軽便線社名淵さなふち時代、1年あまり終点だった開盛は、防雪林に面影を残すだけの空き地となり、地元の人の寄贈による「名寄本線 開盛驛跡之碑」が建てられている

⑦開成駅跡 現在は宅地化され、記念碑は移設されている 2016年9月撮影

開盛から国道までの路盤は舗装道となり、国道の開盛跨線橋は撤去・平面化されている。
国道の先も路盤は舗装道として続いているが、やがて農地化されている。

⑧開盛跨線橋跡から舗装道路になった北遠軽方の路盤を望む 2016年9月撮影

社名淵川の堤防をたどってみたが、社名淵川橋梁の痕跡はなかった

社名淵川を渡り遠軽町に入った路盤は、やがて用水路に沿ったヤブとなり遠軽市街へと一直線に南下する。

学田がくでん仮乗降場として設置され、1959年11月駅昇格と同時に改称された北遠軽にもなにもない

⑨北遠軽駅跡 2016年9月撮影

丘に沿うようになった路盤は、住宅地の裏手の築堤となっていく
築堤へ上ってみると、クルマも通れそうな状態だった。

⑩住宅地裏手の築堤 遠軽方を望む 2016年9月撮影
⑩築堤上の未舗装道? 北遠軽方を望む 2016年9月撮影

4.遠軽

歴史的な経緯から石北本線がスイッチバックとなっている遠軽は、戦前からの風格ある駅舎が一段高いところにある。

⑪遠軽駅舎 2016年9月撮影

名寄本線は一番手前の0番線も使っていたが、線路はないものの、ホーム自体はそのまま残されている

⑪名寄本線も使っていた0番線跡 右手は遠軽名物の瞰望岩 2016年9月撮影

駅構内の裏手には、色あせた転車台が残っているが、名寄本線の9600形や石北本線のD51形が煙を上げていた扇形庫は姿を消し、広かった構内はさびしく見える。

⑪裏手に残る転車台 2022年5月撮影(タイトル写真も同じ)

今回はここまでです。

おしまいまで読んでくださり、ありがとうございました。

次回は湧網ゆうもう線を予定しています。

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